小谷山(おだにやま)支尾根
※日本五大山城
1、春日山城(かすがやまじょう)
  新潟県上越市、長尾氏・上杉氏・堀氏の居城となった山城
  戦国武将上杉謙信の城として知られる。国指定史跡

2、七尾城(ななおじょう)
  石川県七尾市古城町付近にあった城である。畠山氏の居城
  戦により、一時上杉謙信・前田利家も入城。国指定史跡

3、観音寺城(かんのんじじょう)
  滋賀県蒲生郡安土町にある城郭。佐々木六角氏の居城
  支城に和田山城、佐生城、箕作城。国指定史跡

4、月山冨田城(がっさんとだじょう)
  島根県安来市広瀬町富田、歴代の出雲国守護職の居城
  月山(標高197m)にあり、尼子氏・堀尾吉春も入城、国指定史跡

5、小谷城(おだにじょう)
  戦国大名・浅井氏の居城であり、堅固な山城として知られる
  元亀・天正の騒乱で落城。国指定史跡
  後、北近江の拠点は長浜城に移されたために廃城
小谷山
大嶽城
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中丸跡
大堀切の北にある曲輪で、3段からなる。石垣は見られるが土塁は設けられていない。虎口を左右に振り分け、攻めにくくしている。(立札)
山王丸
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小谷城址南山麓、小谷城本丸から南南東に約2.7km
山王丸跡
山王丸跡は4段からなり、最頂部に山王権現(現小谷神社)が祀られていた。小谷城の詰めの丸と考えられている。小谷城跡絵図には、山王丸から清水谷に向けて、搦め手道が描かれている。(立札)
天守台から見下ろす大広間跡
別名「千畳敷」と呼ばれ、長さ約85mx幅約35mで、前面に高さ約4mの石垣が積まれている。
大広間跡は、建物跡が検出されているほか、石組みの井戸跡や蔵跡が確認されている。(立札)
金吾丸
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大堀切跡
本丸跡の北にある大規模な堀跡で、尾根を大きく削ってある
番所跡から本丸跡までとその上の部分を区切るためのものである。(立札)
山崎丸
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小谷城本丸
おだにじょう
小谷城
別 名   遺構等 空堀、土塁、石垣
地  域 25n:虎御前山/南西N   現 状 山林+支尾根
Mapion 滋賀県湖北町伊部/西浅井丁須賀谷   築城者 浅井亮政
標  高 350m/100m=250m   築城年 大永 4年(1524)、
他説:永正13年(1516)
訪城日 2010年09月12日(曇・晴)、他   形 式 山城
山悠々 小谷山-大手/清水谷031107
小谷山-南東尾根/郡上070911
小谷城址-南東尾根/清水谷080904
小谷城址-大手/清水谷100912
小谷山-南東尾根/上山田120513
小谷山-大手/郡上140718
小谷山-西池170414
  規 模 山域全体 
概要 戦国大名浅井氏の居城であり、堅固な山城として知られましたが、元亀・天正の騒乱の中で、4年間織田信長に攻められ落城しました。その後、北近江の拠点は長浜城に移されたために廃城となりました。現在は土塁・曲輪などのほか、先駆的に取り入れられた石垣なども遺構として残っています。支城に、福寿丸・山崎丸・月所丸・清水谷遺構などがあります。日本五大山城※の一つ。国の史跡に指定されています。
清水谷から本丸方向に延びる竪堀
月所丸北尾根の堀切-その一
月所(げっしょ)丸跡
小谷城の搦め手を北からの攻撃から守るための曲輪。二段の曲輪からなり、土塁、空堀により
固く防御されている。六坊跡からここを通り尾根伝いに越前への忍道が描かれている。(立札)
山王丸全貌、左の峰は大嶽城址のある小谷山
小丸跡
二代城主久政が引退した後に居住したと考えられている。
天正元年(1573)8月27日に京極丸より羽柴秀吉に攻められ
鶴松太夫の介錯により49歳を一期として自刃した。(立札)
京極丸跡
京極氏の屋敷があったと伝えられている。大広間に次ぐ広大な曲輪である。
天正元年(1573)8月27日夜半、羽柴秀吉によって攻め落とされ、
久政の守る小丸と長政の籠もる本丸との間を分断された。(立札)
本丸跡
鐘の丸ともいう。石垣をめぐらした約12mの高所に約30mに25mの広さを持つ。落城寸前まで城主長政が居住していたところである。彦根城西ノ丸の三重櫓は、元小谷城天守と伝える。(立札)
御茶屋跡:風雅な名前にはに使わない軍事施設、小さな土塁跡が残っています
番所跡:登城者の検問所
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大嶽城址
山王丸
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小谷城:本 丸
伊部登山口
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福寿丸
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山崎丸

京極丸
金吾丸
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御屋敷
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出 丸
清水谷

郡上登山口
月所丸
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小谷城址案内図(現地案内板)
 
出 丸
御屋敷跡
浅井亮政・久政・長政やお市の方とその子どもたちが暮らしたところと考えられている。
初代城主亮政が、江北の守護京極氏を招いて饗応した時の記録には、
清水谷にあった館の様子がえがかれている。(立札)
清水谷に流れ込む「水ノ手」
月所丸北尾根の堀切-その一
大石垣
小谷城でもっとも壮大な石垣である。比較的大きな石を用いた石垣で、高さ約5mを測り、その規模は本丸を上回る。現在は崩壊しているが、東面に残る石垣に往時の姿を偲ぶことができる。(立札)
金吾丸跡
大永5年(1525)六角定頼が小谷城を攻めたとき、越前の朝倉金吾教景がここに布陣したといわれ、教景の名乗りを取って金吾丸と名付けられた伝える。4段の曲輪と土塁からなる。(立札)
出丸跡
主郭尾根の最先端にある曲輪である。独立したとりでになっており、上下二段の曲輪と土塁からなる。小谷城を守る最前線の砦で、城下を見下ろすように設けられている。(立札)