おだにじょうし ルート 公園P(08:45)〜出丸跡〜望笙峠〜金吾丸(09:35)
〜本丸跡(10:30)〜山王丸〜清水谷分岐(11:15)
〜御屋敷跡〜戦国の館(11:50)〜公園P(12:30)
小谷城址 シュミレーション
地  域 25n:虎御前山/南西N 概要 北陸自動車道の長浜ICを過ぎ、暫く北に向かって走っていると、三角錐のきれいな里山が視界に入ってきます。ご存知、戦国時代に浅井氏の居城であった小谷城の城址です。今は雑木が茂り、視界は木間越しからだけであまり良くありませんが、それでも、伊吹山や山本山、竹生島などが垣間見えます。その当時は、山裾を通る北国脇往還道に、にらみをきかせていたのでしょう。お市の方と3人娘(茶々、お初、お督)の悲哀を偲びつつ、尾根伝いに点在する城址をみながら城址を巡ります。京極丸・山王丸などの跡があり、小谷城をめぐる攻防を思い興しながらの城址巡りです。2011年、NHK大河ドラマにおいて、浅井三姉妹を中心に描かれる『江(ごう)〜姫たちの戦国』の放映に先立っての訪問です。道標も整備され迷うことはありません。山麓には、浅井氏三代を祀る小谷寺や須賀谷温泉、西池(野鳥の観察)、孤篷庵などの見所があります。
Mapion 滋賀県湖北町/浅井町
標  高 398m/100m=298m
距  離 約5.5km、斜度:max20°
体力度 25P、☆
山行日 2010.09.12、(曇・晴)
形  態 日帰り、1名
時  間 所要03:45/歩行02:10
アクセス 自家用車、00:50
備  考 清水谷:虫多し、滑注意
山崎丸
 ↓
虎御前山三角点峰
      ↓
小谷山
大嶽城址
  ↓
カナ山
  ↓
小谷城址
   ↓
 
教育キャンプ場
金吾丸
  ↓

小谷城址最高所
   山王丸
    ↓
 ↑
小谷城本丸
小谷山
  ↓
伊吹山
 ↓
雲雀山
   ↓
11:50 戦国の館(小谷城戦国歴史資料館)
     越しの小谷山
小谷山
  ↓
蛙岩:清水谷にある巨岩
最高点、標高:398mからの北側展望
御馬屋曲輪先端は格好の展望所
前面に大きく小谷山が聳え南西尾根が緩やかに伸びています
山本山
 ↓
小谷山
  ↓
御茶屋跡:風雅な名前にはに使わない軍事施設
  小さな土塁跡が残っています
番所跡:登城者の検問所、ここまで車可能
     ここから本丸跡までは徒歩15分ほど
 
土塁
山本山
 ↓
この付近に
 竹生島
  ↓
小谷城の概略史
大永3年(1523)、近江江北守護京極高清のとき、長男高延と次男高慶を立てて、跡目争いが起こる。このときに、浅井亮政は、高延を擁して対抗勢力を一掃する。翌、大永4年(1524)、浅井亮政は小谷山に城を築いて、京極父子を迎え、実権を掌握する。
永禄3年(1560)、3代長政、16歳で家督を相続する。
永禄10年(1567)、長政、この頃、織田信長の妹、市を娶る。
元亀元年(1570)4月、長政、越前朝倉義景攻めの織田信長を、攻撃する。同年6月、浅井・朝倉連合軍、織田・徳川連合軍と姉川で合戦し、敗退する。
天正元年(1573)9月1日 織田軍に攻められ、浅井久政・長政父子は自刃し、落城する。羽柴秀吉が入城する。
天正3年(1580)、小谷城は廃城となり、羽柴秀吉は、小谷城の資材を使って、今浜に長浜城を築く。
金吾丸南の登り口、巻き道は左にあります
大永五年(1525)7月、江南の六角定頼が小谷城へ来攻した際、初代浅井亮政を助けるため越前より朝倉金吾教景と先鋒の眞柄備中守が来援した。越前軍が布陣した地を、それぞれ金吾丸、眞柄峠と称するが、地元では古くから「間柄峠」として伝わる。(立札)

※現状は、峠としての地勢はなく、尾根筋の一角にすぎません
大手道登山道は車道から
左に外れます

大手道登山道
山王丸最高所より眺める小谷山:大嶽城址
残暑厳しく、体温を越える日が今日も・・・・。普通なら病気の身体、正常に機能するはずがありません。
夏バテから脱し切れてないので、長時間の登山は敬遠し、ハイキングのコースを選定します。2011年の
NHK大河ドラマの舞台となる城山を巡ります・・・・
六坊跡:二代城主久政が、軍務や政務を司っていた六つの寺院が各所に散らばっていて不便なため、ここに集めたと伝えられている
←清水谷/小谷城址↓
↑小谷山/越前忍道→
11:15 清水(きよみず)谷分岐、標高:370m
小谷山
 ↓
金吾丸跡
   ↓
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
山聲-TOP
山悠遊-滋賀湖北
水ノ手:城内の水源、 清水谷に流れ込む谷
丸子岩:清水谷にある巨岩
虎御前山
  ↓
清水谷
 ↓
伊吹山
 ↓
虎子山
 ↓
出丸跡からの山里西側俯瞰
己高山
  ↓
山田山
  ↓
白倉岳/金糞岳方面
    ↓
山本山
 ↓
この付近に
 竹生島
  ↓
出丸跡脇を林道が通り金吾丸に向かいます
雲雀山
 ↓
 ↑
指南山
 
七尾山
ルート・シュミレーション はこちらから
虎御前山野外活動C展望所からの小谷山、撮影日:2007.10.02、小谷山から南南西に約3.5km
   ↑
小谷城址最高所から東南に派生する尾根
須賀谷地区の東峰
12:30 親水公園に建つ「浅井三代の館」到着
国道365号から伊部登山口に至る山麓道路
竪堀:非常に顕著な遺構
11:40 御屋敷跡/林道終点、標高:140m
八畳岩:清水谷にある巨岩
10:45 山王丸跡最高所
     山王権現が祀られていました
大堀切:南北2つの部分に分けることができる
天守台から北側の大堀切を俯瞰
天守台から大広間跡を見返る
10:30 本丸跡、天守石垣
大広間跡:別名「千畳敷」とよばれる建物跡
黒金門跡:左城の主要部の表門、大広間・本丸に通ずる。浅井家供養塔と小谷城址碑が建つ
首据石:敵方への内通者などの罪人
     の首をここにさらしたと伝わる
 
山崎丸跡
金吾丸の北側登り口、巻き道は右側
09:35 金吾丸跡、標高:300m
09:15 望笙(ぼうしょう)峠、標高:230m
本日は霞んでみえませんが、峠の名の由来となった竹生島が望めます
出丸跡からの小谷山
08:55 出丸跡、標高:152m
08:45 親水公園駐車場出発、標高:100m
御馬屋跡:本丸を守るための曲輪
馬洗池:湧水ではないが年中水が絶えなかった
 ↑
山脇山

岡 山
親水公園からの伊部登山口
出 丸
 ↓
国道365号小谷山南山麓からの山容、撮影場所:小谷城址南山麓、小谷山から南南東に約3.7km
2011年にNHK大河ドラマの舞台になる小谷城址山麓に建つ休憩施設が新設されています
山王丸跡の北側:搦め手道の急坂展望所からの東側展望
山王丸跡:小谷城址の詰めの施設で
       北側は搦手に当たる
小丸跡:代目城主浅井久政の隠居後の居所
京極丸跡:主家である京極氏を饗応した所
 その実は幽閉したのではないかとも推察・・・・
刀洗池:中丸の上段にあり、水は枯れています
 刀を洗うための池ではなく城内の井戸の一つ
中丸跡:大堀切の北側にあり
      三段からなる階段曲輪
霊感のある人は、異様な気配があることを察知するらしい・・・・
桜馬場:3段の曲輪からなり、南端の曲輪からは清水谷および北国脇往還道(現在の国道365号)が眼下
番所跡からの西側展望
09:10 間柄峠跡、標高:210m
大石垣:現存する遺構で顕著なもの
伊部登山口:大手道登山道
国道365号出合からの虎御前山