小谷山 (おだにやま)
クリックで拡大
大嶽城址
↓
小谷城址
↓
郡上登山口からの虎御前山
姉川の合戦後
(元亀元年(1570)6月28日)
武田信玄の死去や足利義昭を追放することにより、浅井攻めに集中できるようになりました。
それにより、織田軍は5万人の軍勢に増強され、天正元年(1573)八月、「小谷城」は織田勢の大軍に包囲され、浅井長政は8月29日に自刃、織田信長の天下取りが前進しました。
山崎丸跡(登山道から)、標高230m付近
福寿丸跡(登山道から)、標高:280m付近
小谷山山頂:大嶽城主郭跡
↑
大嶽城址
↑
福寿丸
↑
山崎丸
↑
御屋敷
↑
出 丸
↑
郡上登山口
清水谷
金吾丸
↓
山崎丸跡
元亀三年(1573)七月、朝倉義景は浅井長政に加勢するため、
一万五千の兵を率いて一乗谷を出陣し、八月二日には最前線の知善院尾(山崎丸)に布陣し、虎御前山の織田信長と対峙した。山崎丸はその際に築かれたと考えられる(立札)
小谷城址案内図(現地案内板)
↑
福寿丸
↑
山崎丸
福寿丸跡
小谷城の本丸などの主要遺構と違い土塁を高く築き複雑な構造になっている。
元亀三年(1572)八月、朝倉義景が加勢に来た時に築いたと考えられる(立札)
山王丸
↓
小谷城:本 丸
↓
金吾丸
↓
月所丸
↓
岡山東山麓からの山容、小谷山から南西に約2.0km
標高:200m付近からの南側展望
正面に虎御前山
ここに織田軍が布陣し、山崎丸の朝倉軍と対峙しました
伊部登山口
↓
↑
京極丸