210日、220日、ご存知の通り、立春(節分のあくる日)から数えての日数で
日本では、その時期に台風の襲来が多く、農家では厄日として嫌われています
折も折
2005年の9月6日〜7日にかけて台風14号が日本列島に大きな災害を残し、通り過ぎていきました

風は、「そよ風」のように風情・詩情のあるものから、「台風」のように災害をもたらすものまであり
変わったところでは、「選挙の風」というものもあるようです
このように、「風」は私たちの日常生活に、密接にかかわりがあり
当、編集子のhpでも、比較的多く登場するもの(題材)です
表題の「殿閣生自涼」は
507版:平成17年5月8日 日曜日に掲載しました「殿閣生微涼※」の姉妹編です ※リンクをどうぞ

【 睡美不知山雨過 覚来殿閣生自涼       出典:槐安国語(かいあんこくご)
 (
ねむり びにしてしらず さんうの すぐることを さめきたって でんかく おのずから りょうをしょうず) 】 
   すっかり眠っていて、ひと雨降ったのも知らなかった
   目を覚ますと殿閣は暑気が払われていて良い気持ち
   尽大地(じんだいち:大地がつきること)どこもかしこも清涼一枚にして、心に掛かる一物もなし
   無心の妙境涯である                           ( 淡交社 禅語大辞典 )

・・生自涼は「無心の境地」をいい
・・生微涼は「無作為・無心」をいっています


よく使う言葉に「思惑おもわく:思うところ=○○通り事が運ぶ、○○が外れる)」というのがあります
ひとは、それぞれに自分の考え(思い)があり、その考えが実現することを欲しています
また、実現するように色んな手段や細工などを講じます
合法的なものから、非合法なものまであり
大なり小なり、人々の欲望が渦巻いています
それが娑婆(人間が住んでいるこの世界)であり、現世です

地球が生まれてから45億年(ともいわれています)、これを人生70年(仮定)として
人間の一生を換算すると、わずか0.07秒
人類誕生(500万年前といわれています)からでも、わずか1.2秒
瞬く間の一生です(比較の意味はまったくないのですが)

そんな短い一生なのだから、と
「思う存分」だとか、「一生懸命」などと形容しながら、人生を歩みます
人生の目的を、何・何処に置くかで、その人の生き様までが変わるようにも思えます
受験勉強然り、見得・プライド然り・・・・
それぞれが、自分自身を含め、叱咤激励しながら(されながら)目的を目指し努力を重ねます
しかし、そこには競争・怨嗟・嫉妬などなど、人の醜さが露呈し、欲望が付きまといます
そして、「落ちこぼれ」や「負け組」などの言葉が飛び交い、比較社会の弊害が現れ翻弄されます

頬をなでる風に、きずかなくなったのはいつからなのでしょうか
純真無垢な子どもの頃は、素直で純真でひたむきでした
すくなくとも、その頃は風と戯れていたように思います
心傷つき、夢破れ・・・・
だからでしょか、「昔はよかった、昔に戻りたい※」などと思うのは・・・・
※リンクをどうぞ
それが解れば遅くない、今から始めよう「のんびリズム※」を・・・・   ※リンクをどうぞ
平等院 鳳凰堂(ほうおうどう)
山行日:2002.03.07、(晴)
所在地:京都府宇治市
 平安時代後期、時の関白藤原頼通によって平等院に建立された阿弥陀堂建築です
10円硬貨にデザインされた
その姿はあまりにも有名
初めて現地にたたずむと
プラモデルが池の上に据えられたようにも見え、優雅さや
木組みの精緻さに驚嘆します
この時は
阿弥陀如来坐像(国宝)が
大修理中で、鳳凰堂の内部は
拝観できませんでした
2007年8月が完成だそうです
南禅寺 水路閣(すいろかく) 
山行日:2002.11.21、(曇/雨)
所在地:京都市左京区
 水路閣は琵琶湖疏水事業の一環として
施工された水路橋で、煉瓦造、アーチ構造の
デザインを持つ工作物です
古刹:南禅寺の境内の一角にあり
建築当初は、単なる水路と思えない
異国風建造物の水路閣として
明治18年に着工されました
当初は古都の風景とはまったく異質の景観で
多くの人が首をかしげたことでしょう
「古都、京都の風景にそぐわない」と・・・・
しかし、1世紀(120年)以上を過ぎた今
TVや映画のサスペンスドラマなどには
欠かせない存在です
それが歴史的な風土に溶け込んだ景観として
存在しています
この日、大文字山山行の帰路立ち寄りました
雨が降ってきたのはその直後でした・・・・
虎丘庵は、一休禅師が京都東山より移して居住した所であり
周囲の庭園は室町時代の禅院枯山水の地割庭園で
作者は茶祖村田珠光と伝えられています
慈照寺 銀閣(ぎんかく)
山行日:2002.11.21、(曇/雨)
所在地:京都市左京区
 世界文化遺産にも指定された日本を代表する建造物のひとつである慈照寺は
別名銀閣寺とも言われます
なかでも、銀閣(国宝)は
観音殿と呼ばれています
池を前にして建つ宝形造りの2層の楼閣で、下層を心空殿
上層を潮音閣といわれます
境内の高台から眺める風景もいいものです
大文字山山行の帰路
立ち寄りました
みたいな
今日のことば
♪愚か者が家を建て (繰り返し)
 砂の上に家を建て 雨が降ってきた
 雨が降って水が湧き (繰り返し)
 水が湧いて川となり その家は倒れた


これは、編集子が青年時代、仲間たちと
集まるたびに歌った(振り付け付)歌です
その時、若者たちは
社会に貢献しようと、理想に燃え
熱き情熱をたぎらせていました
砂上の楼閣とよく申します
何事も「基礎が大切だ」
「実現不可能な計画はするな」という
教訓をこめた内容なのですが
悪質リフォーム業者が横行し
砂上の楼閣つくり(詐欺行為)に加担・・・
一方、立派なマニフェストが作成されても
人々の暮らしが楽になるのは、いつ・・・・
一体、人をなぜそうさせるのでしょう
昔はそんな若者ではなかったでしょうに
今回は「殿閣」にちなんで楼閣の数々を拾ってみましたら偶然にも、京都ばかり
渉成園 傍花閣(ぼうかかく)
山行日:2005.07.14、(晴)
所在地:京都市下京区
 渉成園(しょうせいえん)
東本願寺の東約500mあり
敷地の周囲に枳殻(からたち)
植えてあったことから
枳殻亭(きこくてい)とも
呼ばれています
石川丈山の作庭になる
1936年に国の名勝に指定
写真の建物は傍花閣といい
邸内にある持仏堂に対する
楼門の形で建っています
左右から屋蓋のある階段の付く特異な形態が目を引きます
519版:平成17年9月11日 日曜日
殿 閣 生 自 涼
一休寺:酬恩庵(しゅうおんあん)
   虎丘庵(こきゅうあん)
山行日:2004.05.10、(曇/雨)
所在地:京都府京田辺市
 一休禅師が後半生を過ごした寺院、大徳寺の住職となった時もこの寺から通われました
お馴染みの、「とんちの一休さん」は、この一休禅師のこと
応仁の乱を避けて都の東山の「虎丘庵」を移したのでこの「虎丘」の名があります
生垣越に見える
茶色に見える屋根が「それ」

この寺を建てた大応国師を敬慕してやまなかった一休禅師は荒廃したこの寺を再建することこそ、法祖に報いる道だと考えたことから、酬恩庵の名がつけられたといわれています
東福寺 開山堂
山行日:2002.12.10、(晴/曇)
所在地:京都市東山区
 東福寺は臨済宗の寺院で
その昔、京都五山の一つに
数えられていた大寺院
写真の額縁(門)の奥に見える建物は開山堂で
別名常楽庵とも言われます
屋根の上に閣を持つ建物で
類例を見ない開山堂です
開山国師像を安置されます
このお堂前にある庭園は
眺望を借景にして見事です
境内にある通天橋は有名で四季を通じ、訪れる人の心を洗い清めてくれることでしょう
善峰寺
山行日:2002.11.19、(晴)
所在地:京都市西京区
 西国札所の二十番
応仁の乱(1467〜77)の際に兵火を受けて焼け、現在の諸堂の多くは、徳川五代将軍綱吉の母である桂昌院の援助によって再建されたものだと言われます
六角形のお堂は経堂で
一切経が納められていますその奥にある二層の建物が
多宝塔(重文)
その前に有名な「遊龍松」が大きく横たわっています
とにかく、紅葉は見事です
山行に見る 山 の 楼 閣
一緒にいってみたいなこんなとこ
山葵の山行まっぷ
印の県に「目的地」があります
県名
高台寺 霊屋(たまや)
山行日:2004.03.13、(晴)
所在地:京都市左京区
 この地は、豊臣秀吉の妻である北政所(ねね:おねとも)が秀吉の菩提を弔うため建立された寺で、「高台院」の号を勅賜されたことからこの寺名があります
北政所が76歳で没されるまで
住まいしたと言われます
写真の建物は霊屋(重文)で
秀吉と北政所の霊をお祀りされている所です
また、境内の高台には
茶室の傘亭、時雨亭(共に重文)があります
京都
山呼-リスト
※ご参考までに
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カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
山呼らいぶらり〜