しょうほうざんこんごうしょうじ |
ルート |
勝峰山金剛證寺(12:50)〜奥之院(13:35/14:15)
〜勝峰山金剛證寺(14:30) |
勝峰山金剛證寺 |
地 域 |
24i:鳥羽/北西S |
概要 金剛證寺は、宗派:臨済宗南禅寺派、山号:勝峰山、院号:兜率院(とそついん)、本尊:虚空蔵菩薩、創建年:伝・6世紀半ば、開山:伝・暁台、中興年:明徳3年(1392)、中興:東岳文c(とうがくぶんいく)。6世紀半ば、欽明天皇が僧・暁台に銘じて明星堂を建てたのが始まりとされています。平安時代の天長2年(825)に、空海が真言密教の道場として当時を中興したと伝えられています。当寺は、その後衰退し、明徳3年(1392)に鎌倉建長寺71世の仏地禅師東岳文cが再興に尽力しました。これにより東岳文cを中興で新たな開山第一世とし、真言宗から臨済宗に改宗し禅宗寺院となりました。神仏習合の時代、伊勢神宮の丑寅(北東)に位置する当寺は、「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として伊勢信仰と結びつき、伊勢・志摩国最大の寺となりました。江戸時代には、幕府は伊勢神宮と絡んで当寺を重視し、援助が行われています。 |
 |
三重県伊勢市朝熊町 |
標 高 |
475m/448m=27m |
距 離 |
― |
体力度 |
―、☆ |
山行日 |
2024.06.11、(晴) |
形 態 |
後泊、3名 |
時 間 |
所要01:40/歩行01:00 |
アクセス |
自家用車、03:10 |
備 考 |
階段参道、奥之院へ500m |
仁王門背面(帰路)
鐘楼
鐘楼
連間の池と連珠橋(太鼓橋)と池に咲く蓮の花
連間の池と連珠橋(太鼓橋)
五重石塔・三重銅塔、奥に連珠橋(太鼓橋)
重軽地蔵尊
矢負地蔵堂
仏足石と石碑、※写真クリックで拡大
吐水龍
手水場
手水舎
本堂前階段参道(俯瞰)
本堂前参道
この先奥之院、極楽門
芭蕉句碑、※写真クリックで案内板拡大
明星堂、※写真クリックで案内板拡大
本堂(磨尼殿)前から奥の院への参道
本堂(磨尼殿)右脇のお堂:求聞持堂
本堂(磨尼殿)向拝前からの香堂
本堂(磨尼殿)向拝の扁額『祈祷』
本堂(磨尼殿)左正面
本堂(磨尼殿)
開山堂前からの中門
十三重の石塔
庫裏玄関
開山堂、※写真クリックで案内板拡大
方丈玄関
方丈玄関・庫裏
金佛(阿弥陀佛)
この金佛は古市の常照寺にお祀りされていたが、故あって三河の晃光寺に売られていたものを、向井勝翁によって買い戻され、当山に安置されたものである。施主の彼岸により諸人の幸福と亡き人の冥福を祈る願いが秘められている
金佛と石碑
表参道
明治時代になると、他の伊勢神宮の神宮寺が廃寺とされる中、当寺は伊勢神宮の奥之院とされながら廃寺をのがれています。戦後には、伊勢湾台風の被害を受けるなどの衰退の一途をたどりました。昭和39年(1964)の伊勢志摩スカイラインの開通後は、参拝者も伸び仁王門が再建されるなど往時のにぎわいを取り戻しています。
連間の池のハスの花
「連間の池と連珠橋」案内板、※写真クリックで拡大
連間の池と連珠橋(太鼓橋)、橋を渡ると雨室堂
連間の池と連珠橋(太鼓橋)
厄除六地蔵尊、※写真クリックで案内板拡大
矢負地蔵堂扁額『願王殿』
仏足石舎、※写真クリックで案内板拡大
階段参道から本堂を見上げる
奥の院から本堂への参道(帰路)
芭蕉句碑、※風化で判読できず
八大龍王・経ヶ峯参詣道入口、※写真クリックで案内板拡大
石祠三体
本堂(磨尼殿)前の香堂
本堂(磨尼殿)左脇のお堂
杉林樹間からの庚申堂
開山堂前の杉林
開山堂
築地塀・参道
「金剛證寺」案内板、※写真クリックで拡大
本堂(重要文化財、摩尼殿)は、慶長14年(1609)に姫、路藩初代藩主池田輝政の寄進により再建されたものです。本尊は、福威智満虚空蔵菩薩で、伊勢神宮内宮の祭神天照大御神を現す神鏡も祀られており、神仏習合の形式をとっています。「日本三大虚空蔵菩薩」の第一位として、広大無辺な「福徳・威徳・智徳」の三徳を有する秘仏で、伊勢神宮のご遷宮の翌年に、二十年に一度の開帳を厳修しています。本堂の前には、本尊・虚空蔵菩薩の広大な智慧を戴いた寅の像「智慧寅」があります。安らぎの姿中に、一視同仁の慈愛と威徳をお授けするといわれます。また、向かいには丑の像「福丑」があります。この福丑は、頭上に福の神である大黒天を頂いています。一度この福丑に触れれば心清く、意思堅固となり、福徳智慧増進し、身体健康の御利益が授けられると伝えられています。
庚申堂、※写真クリックで案内板拡大
旅悠遊-三重伊勢
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき