私達が事をなすとき
物事の推移が順調で調子のいいときは、何の問題も発生しません
しかし、一旦、問題が発生すると
問題解決に対するエネルギーは膨大で、損失も莫大になります
そこで、危機管理の対応・知識が必要になってまいります

【 危機管理(ききかんり) 】
  不足の出来事がひき起こす危機や破局に対処する政策・体制
  経済危機や平和の危機、テロやハイジャック、大規模地震など
  自然災害に際して行われる              ( 広辞苑 )


マニュアルの範囲外
マニュアルの想定外に対する危機管理は行えていないのが本当のところで
この危機管理能力も、言葉通りに受け取らないほうがいいのかもしれません

たとえば
    自然・人為災害の問題:計画性の欠如・・・・開発のスピード、無秩序
    経年劣化の問題:管理意識の欠如・・・・・・・経済性・安全性のバランス
    有事の問題:自衛能力の欠如・・・・・・・・・・・国民の合意、アレルギー
    少子化の問題:将来展望の欠如・・・・・・・・・不安感、意識改革の必要性
    環境破壊の問題:人間性の欠如・・・・・・・・・人間の欲・業、倫理観
    テロ・偽証等の問題:想定外・・・・・・・・・・・・・もう、お手上げ
    などなど・・・・

研究途上のものもありますが
マニュアルでは、ほとんどが付け焼刃
政治的には「先送り」の産物では・・・・

当事者でないものは、無責任に担当者に対し責任の所在を追及します
当事者は、責任回避にエネルギーを使い
視点(当事者の意識)は、被害を被った側には向いていません
お互いに問題点を整理し、早急に危機管理の棚(まな板)に載せれば
被害拡散も少なくて済むわけですが
利害が対立しているため、なかなか同じテーブルに着こうといたしません

また、当事者の保身のあまり
事案の詳細が隠蔽されることも考えられ

(最近、某航空会社は、軽微なミスは責任を問わないことを表明しました
     問題の早期解決のため、速やかな情報の提供・報告を期待)
危機管理のマニュアルも
機能しないこともおこりうる、との想定も必要です
釈明会見の仕方も、マニュアルどおり・・・・
と、勘ぐられてしまうことにならないように


官民を問わず
個人レベルでも「先送り」はよくおこります
「明日がある・・・・」などは、その最たるものです
「今日出来ることは、今日のうちに・・・・」
個人のポリシー(政策、政略、方針)の問題ですから
他人からとやかく言われる筋合いではないわけですが
すくなくとも、「余裕」を持って、事に当たりたいものです
戦国時代は戦であけくれていました
危機・非常事態が常時あったわけです
敵を防ぐため軍事的構造物が設けられ
天険を利用して防御を施す施設である
山城が発達しました
反対に、攻撃は最大の防御という
戦略もあみだされ
現在でもスポーツなどで使われています
古より、戦が無かった時代はありません
いいかえれば、危機の歴史です
しかし今なお危機管理が叫ばれています
危機の質が複雑多岐にわたり
さらなる叡智の結集が求められています
楽天的に考えればいいのでしょうが・・・・
砂上の楼閣を維持するのと違い
管理を怠れば・間違えれば
SF小説まがいのことにも・・・・

今回は、テーマの「危機管理」にちなみ
戦国時代の危機管理施設:城砦のある
山の風景をとりあげてみました
瓶割山(別名:長光寺山):長光寺城址、所在地:滋賀県近江八幡市、撮影場所:鶴翼山山頂
城砦は応仁の乱当時に、佐々木四郎政堯が居城、その後六角軍や柴田勝家がこの城に拠る
天正4年(1576)安土城築城の頃、廃城されたと伝えられている。瓶割りのエピソードで知られます
703版:平成19年03月05日 月曜日
危 機 管 理
山行に見る 城砦のある山
一緒にいってみたいなこんなとこ
みたいな
山葵の山行まっぷ
印の県に「目的地」があります
県名
今日のことば
滋賀
山呼-リスト
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
山呼らいぶらり〜
「余裕」持たせるため精神的にも物理的にも準備、すなわち「訓練」がかかせません
非常事態に備える・・・・、言葉(文章)では簡単ですが
集団で行うとなると、訓練に参加しない人も多く、簡単には参りません

                         参考に「虎口を脱す」をご覧ください
たとえば、ビル火災の避難訓練があるとします
5階建てのビルの1階から出火、階段も使えません、あなたならどうしますか・・・・
消防ハシゴ車による開口部からの救出に頼る・・・・、ですか
館内の避難設備や消化設備を活用する・・・・、ですか
防災ヘリの救出を待つ・・・・、ですか

防火設備は当然ながら設置されているのですが
維持管理が充分でなければ、防火機能は果たされず初期消火は水泡と帰すでしょう
交通渋滞で、ハシゴ車がこなかったら、窓枠にしがみつくことになるでしょう
防災ヘリが、ビルに近づくことができればいいのですが・・・・
結果は、悲観的な方向に傾いてしまいます

一方、防火設備がある程度機能していても、心理的なものが作用します
編集子の経験ですが
避難器具のひとつで「斜降式救助袋」の脱出訓練をしたことがあります
5階の窓から筒状の袋に入り、滑り降りて地上に脱出するのですが
窓枠に片足を乗せたとたん、恐怖感が襲い体が震えて足が前に出ません・・・・
いざとなれば、出来るのでしょうが(出来ると思うのですが・・・・)
机上の空論、とならないような取り組みが必要と感じます


普段出来ないものが、本番でできるはずはないといわれるごとく
充分な準備(訓練)と余裕が不可欠です
ハシゴ車の届かない高さだったらどうなるの・・・・
ここまでは、想定内のこと、しかし
超高層ビルは、防災管理体制が充分だから大丈夫、・・・・ですって
イヤイヤ、最近の研究では超高層ビルの頂部では、4m程の振幅があるそうです


一方、これまで作り上げてきたインフラ(社会資本)が危機に面しているのですって
    ライフラインの劣化・・・・ガス漏れなど
    道路や橋が劣化・・・・・・橋げたの落下
    地下工作物の劣化・・・・道路の陥没
などなど・・・・、惨事は、隣り合わせにひそんでいます
そんな局面に出遭ったとき、あなたならどうなさる・・・・


これまでの被災経験で、予知と予報に関する研究が進んでまいりました

報告の概要の一部が報道番組などで紹介されていますが
不安が軽くなるどころかますます増大・・・・というのが正直なところです
                             参考に「予知と予報」をご覧ください
山行は、一般災害と同じくいろいろな危険と隣り合わせ、登りよりも降りが難しいもの
登りにエネルギーを使い果たしてしまうと、降りる時の体力が残っていません
頂上を目前にしていると、誰しも登頂したい気持ちが最大限になります
降りられなければ何もなりません
「帰ってくる」という意識・勇気(決断力)が必要です・・・・

山登りをする当の本人は、リスクを承知の上で行動しているのでいいのですが
もしも、万が一などの不安が先にたち、家族や知人は同じ気持ちではいられません
家族は、災害を(ふりかかる火の粉)、未然に防止する行為に出ようとします
貴方は、それをどのように説得し、危険と思われている山に出かけられていますか
これも、身近な「危機管理」の一例です・・・・

山は「危険である」との認識の上にたって、自己責任のもとで行動します
自然と行動の中に、「危機管理」をしているのですが、ときおり魔の手が潜んでいます
山は逃げません、厳しくもありますが優しくもあります、ご油断無く・・・・
無理から得たものは、身になりません、自分に応じた楽しみ方で・・・・
近江(滋賀県)には、一体どれほどの城があるのでしょうか、気になるので調べてみました。
滋賀県教育委員会が1982年から10年の歳月をかけて調査された結果、1300箇所以上あることが明らかになりました(滋賀県中世城館分布調査による)。それは、全国的にも屈指の分布数であるとも言われています。それだけ、近江は軍事的・政治的・経済的に重要な位置であったかという証明でもあります。これまでの山行で城址のある山の風景を、ごく一部ですがご紹介いたします。
山本山:山本山城址、所在地:滋賀県湖北町山本、撮影場所:山本山山麓
高倉宮以仁王の令旨を受けた山本源氏山本義定・義経父子の旗上げした陣地跡
治承四年(1180)12月16日、平家の平知盛・資盛の大軍により、全山火の海と化すと伝わる
小谷山:大嶽(おおづく)城址、所在地:滋賀県湖北町伊部、撮影場所:山本山山麓
大嶽城は小谷城の支城。小谷城はもともとここにあったようです。浅井攻めの時にはここを護っていたのは朝倉の援軍で浅井方の家臣が織田方に寝返ったために落城したとあります
山本山城址
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賤ヶ岳
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大嶽城址
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小谷城址
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弥高山:上平寺城(別名:桐ヶ城)、刈安尾城、所在地:滋賀県米原市伊吹、撮影場所:弥高山山麓
京極高清が山麓に館を構えたとき「詰めの城」として築城(応仁の乱以降、1505年頃)。城は北国脇往還道を見下ろす位置にあり近江・美濃の境目の城としての機能と推定されています
伊吹山
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伊吹山三合目
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刈安尾城址(弥高百坊跡)
上平寺城址
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横山:横山城址、所在地:滋賀県長浜市堀部、撮影場所:横山山麓
ここは、小谷城主浅井氏の支城が置かれていたところです、姉川の戦いの舞台となった所です
山頂を中心に曲輪や堀切、土塁などの遺構が点在しています
横山城址
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伊吹山
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七尾山
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鎌刃城址尾根:鎌刃城址、所在地:滋賀県米原市番場、撮影場所:番場城址山麓
鎌刃城は中世の城跡で、築城年代は明らかではないのですが、室町時代に軍事目的の「境目の城」として築かれたものだと推定されています。その後、信長直轄の城となり廃城となったようです
鎌刃城址尾根
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竜宮山
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向山/男鬼山山系
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弥高山
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番場城址

佐和山城址
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弁天山
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大洞山
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佐和山:佐和山城址、所在地:滋賀県彦根市鳥居本町、撮影場所:野田山山中
1190年に近江守護職佐々木定綱(近江源氏の祖)の六男佐保六郎時綱が、初めて佐和山に砦を築いたのが始まりと云われています。関が原の合戦により落城、彦根城の築城により廃城
物生山城址
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安土山:安土城址、所在地:滋賀県安土町下豊浦、撮影場所:繖山北尾根
織田信長が天下統一の端緒とした天正7年(1579年)に築城、わが国の最初の本格的な天守閣
本能寺の変後、山崎の合戦後の混乱による兵火や土民の放火によって、城郭の大部分が消失
安土城址
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八幡山城址
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北之庄城址
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津田山山系
繖山(観音寺山):観音寺城址、所在地:滋賀県安土町石寺、撮影場所:瓶割山山麓
近江源氏・佐々木六角氏の居城で、築城時期は不明ですが、1335年頃という説もあるそうです
永禄11年(1568)織田信長が上洛する際に、支えきれず観音寺城は落城したと伝えられています
観音寺城址
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安土城址
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小脇山城址
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繖 山
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 赤神山
(太郎坊)
岩戸山
(十三仏)
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円山城址
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鶴翼山(別名:八幡山):八幡山城址、所在地:滋賀県近江八幡市、撮影場所:近江八幡市東郊外
豊臣秀吉の甥で、豊臣秀次が山頂に築城、城下町は、織田信長の安土の城下町を移したと伝わる
峰続きには、北之庄城址(佐々木六角氏の時代、詳細は不明)もあります
八幡山城址
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北之庄城址
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望西峰
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岩倉山
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雪野山
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布施山
(玉緒山)
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長光寺城址
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