「 見ざる 聞かざる 言わざる 」、ご存知の『三猿』です
 【 三猿(さんえん) 】
   三様の姿勢をした猿の像。両眼・両耳・口をそれぞれ手で覆う
   猿に「ざる」をかけて、「見ざる・聞かざる・言わざる」の意を寓したもの  ( 広辞苑 )


そもそも、このコラムに登場したのは、あるTV番組を視聴していた時のこと
画面に「見ず聞かず、言わざる三つの猿よりも、思わざるこそ、勝るなりけれ」と書かれた書が登場
どこかで見たような字の配列に「編集子のメモ帳」を思い出し、開けてみると『七猿歌』とありました
しかし、その概要が不明で、メモ帳は四半世紀の間追記されず、あかずのページとなっていました
今回、偶然にもその糸口がみつかり、長年空白であった欄が埋まりました
どうでもよいことが、「編集子メモ」の真髄であります
諸兄にはご存知だと思いますが、無駄とは知りつつも紙上を借りてご紹介させていただきます

この「見ず聞かず・・・・」は、辛草のホームグラウンド:滋賀県の比叡山延暦寺と関係がありました
慈恵大師※の「七猿歌」の一節です
      ・ つらつらと うき世の中をおもふには まじらざるこそ まさるなりけれ
      ・ 見きかでも いはでもかなはざるものを うき世の中に まじるならひは
      ・ つれもなく いとはざるこそうかりけれ 定めなき世 を夢とみながら
      ・ 何事も 見ればこそげにむつかしや 見ざるにまさる 事はあらじな
      ・ きけばこそ 望もおこれはらもたて きかざるぞ げにまさるなりけれ
      ・ こころには なにはの事を思ふとも 人のあしきは いはざるぞよき
      ・ 見ずきかず いはざる三つのさるよりも おもはざるこそ まさるなりけれ
        
※七猿歌:権現の使いである猿に因んで、「さる」を詠み込んでつくられた七種の歌の処世訓

  慈恵大師良源(元三大師)じえだいしりょうげん(がんざんだいし)(912〜985)、出身地:滋賀県東浅井郡
     第18代天台座主
、荒廃した堂塔の整備や教学の発展、戒律の徹底を図るなど
     比叡山を学問的にも教団的にもかつてないほどに発展させたため、「比叡山中興の祖」として仰がれ
     行基以来初めての「大僧正」の位が与えられました。「元三大師」は正月3日に亡くなったことからの俗称
     角大師や豆大師に代表される元三大師信仰は、民間信仰として浸透し、現在も盛んです
     また、大師は「おみくじの元祖」として知られています

     
〔エピソード〕良源の母は、物部氏の娘 月子姫だと言われています。子宝に恵まれなかった月子は
     土地の名刹大吉寺※(現滋賀県浅井町野瀬)の観音に祈願し、その夜“海中に座って天を仰いでいると
     日輪が懐に飛び込んでくる夢”を見る。その後、懐妊して良源を出産したという

            ※大吉寺ついては、参考に天吉寺山をご覧ください

私たちは、知らずの内に色んな物事に遭遇しています、山行をしていても、後日頷くことも度々です
知り合いと四方山話をしていると、「ある人(物)」が登場します
話し出した人は、聞く人と話の登場人物との関係がないものだと話を切り出します
ところが、聞く人は「その人は知っている・・・・」ということがあります、※前出の大吉寺も同じこと
偶然かはわかりませんが、「世の中、狭いな〜」などと意外な方向に話の花が咲くことがあります
しかし、笑いで済む場合はいいのですが、時として失言となる場合もあります
そんなとき、「三猿」の内の『言わざる』が心に響いてきます

この教えは、漢語の不見・不聞・不言の和訳で、猿とは直接関係はないといわれるようですが
日本においては、庚申信仰に結びついて作られたとも言われ
否定の“不”(さる)を猿に通わせて見猿、聞猿、言猿の三匹の猿が作られ、「三ざる」として浸透
俗説では不見、不聞、不言の三諦を三猿に表したのは伝教法師(最澄)だという説もあるようです


歳を重ねていくと、眼は老眼になってメガネが必要となり、耳が悪くなって補聴器をつけて補います
さらに、歯がなくなってくると入歯でカバーします、今後、編集子の強〜い味方になってくれそうです
三猿の原点の教え「見ず、聞かず、口は慎め」はいつも心の片隅においておきたいものです
猿の彫刻の拡大写真
棟持猿(むなもちさる)
この立派な門は
坂本にある日吉大社西本宮の楼門(重文)です
その門の屋根下の四隅に施された猿の彫刻です
本殿前の見張りとして厄魔退散の象徴として
設けられていると伝えられています
閑話
庚申信仰は、江戸時代に最盛期を迎え
娯楽と信仰を兼ねることが出来る庚申に
自分たちのささやかな夢を託し
国土安全・平穏無事・五穀豊穣・家門繁栄など
自分たちの守り神として広く信仰されていました
なお、2004年(平成16年)は申年(さるとし)であり
「方位除け・魔除けをはじめとして
家内安全や商売繁盛・必勝祈願などに特別な
神徳が受けられる」とか
神の使わしめであるおサルさんも
張り切って居られたとか、いなかったとか・・・・
山王鳥居 (写真右)
明神鳥居の上に破風型の合掌のあるもの
日吉大社にあり、破風鳥居・総合鳥居ともいう
合掌は神仏習合を表すといわれます
#04の猿たち
日吉大社
山行日:2003.11.27、(曇)
所在地:滋賀県大津市

日吉大社はご存知の通り
全国各地に鎮座する
3,800余りの「山王さん」の
総本宮です。正式には
「山王総本宮日吉大社」
(さんのうそうほんぐうひえたいしゃ)
と呼ばれます
神輿ぶりで京の人たちを
悩ました神輿や重文の石橋
など、文化財の宝庫です
ここにはサルがたくさん・・・・
518版:平成17年9月4日 日曜日
三  猿
山行に見る 山家の七猿
一緒にいってみたいなこんなとこ
みたいな
山葵の山行まっぷ
印の県に「目的地」があります
県名
#03の猿
白馬岳 猿倉登山口
山行日:2005.07.20、(曇)
所在地:長野県白馬村

白馬岳登山の主要な登山口の一つです
有名な大雪渓はこの登山口が基点です
ここから山頂までは標高差:1682m、約6kmで
約8時間あればゆっくりと登頂できます
※この「猿」は度々の登場で恐縮です・・・・
今日のことば
三重
徳島
滋賀
山行をしていますと
色んな動物に遭遇します
猿・鹿・狸・熊・カモシカ・・・・
本物以外にもそれに関係する
彫刻とか文献とかにも出会います
ライブでの遭遇もあれば
後日、ひょんなことで
思い出す場合もあります
猿は辛草の棲息地にも
時折出没いたしますが
ご他聞にもれず山行でも
猿に関係のあるものに出会います
類人猿(サル目(霊長類))として
ヒトに最も近縁であることから
古来より、神の使わしめとしても
庚申信仰としてもかかわりが深く
人々に馴染み深いものです
今回のテーマである「三猿」にちなみ
山行で巡り合った「さる」を七種
拾い上げてみました
看板の要旨は次の通りです
観音寺は、伊富貴山観音護国寺(いぶきさんかんのんごこくじ)といい
弥高・太平寺・長尾寺の三ヶ寺と共に、伊吹山四大護国寺の一つとして
伊吹山中にありました。鎌倉時代中期の正元年間(1259〜1260)に
現在地に移ったとされ、千手観音立造を本尊とする天台宗の寺院です。
また、豊臣秀吉が鷹狩りで立ち寄った際、寺の小僧をしていた石田三成を
「三碗の才」(お茶が飲みやすいように三回に分けて出したこと)で
見出したことでも著名で、その水を汲んだ古井戸も残っています。
                     (平成八年三月 山東町教育委員会)
#05の猿
観音寺
山行日:2004.01.12、(晴)
所在地:滋賀県米原市
         旧山東町
猿面冠者で知られるのは
豊臣秀吉
彼が長浜城主であった時
このお寺で歴史的な
出会いがありました
その詳細については
お寺の門前に立ってある
看板に記されていました
#06の猿
椿大神社(つばきおおかみやしろ)
山行日:2003.09.08、(雨・曇)
所在地:三重県鈴鹿市

神社の背後にそそり立つ
入道ヶ岳と手前の椿ケ岳を
天然のやしろとして
クニツカミ猿田彦大神を
主神として造営された
日本最古の神社です
全国二千余社の
猿田彦大神をまつる本宮です
この日は
東海自然歩道を歩きました
#07の猿
祖谷川の野猿
山行日:2002.1017、(晴)
所在地:徳島県東祖谷山村

四国の霊峰:剣山から8km下ると「2重かずら橋」がある。祖谷川に架けられた橋にかわる移動装置で
「野猿(やえん)」といわれます
キャンプ場が近くにあり
資料用に設けられているもの
熊野に行ったときにも
資料用として架けられていた
のを思い出します
#01のサル
サルスベリ
撮影日:2005.08.07、(晴)
別名:百日紅、ミソハギ科、花言葉は「雄弁」
7月のはじめから咲き始め、9月の終わりまで
真夏の日射しを楽しむかのように咲いている
和名の由来は
樹肌がなめらかであることに由来する
夏に一部がはげ落ちて
その部分の色が白くなります

某寺院の境内に咲いていました
#02のサル
日本コバのサルの腰掛
山行日:2004.12.12、(曇・晴)
所在地:滋賀県東近江市旧永源寺町

鈴鹿山系の竜ヶ岳から西側に位置する
日本コバ山中にて見つけました
その他たくさんのサルの腰掛にも出会いました
ご参考までに のんびりずむをご覧くださいませ
日吉大社の猿の霊石
東本宮近くの参道にあります
謂れは記載がなく不明・・・・
      ↑
ここにあります

ここにもあります
西本宮楼門
長野
山呼-リスト
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
山呼らいぶらり〜