てんきちじやま ルート 大吉寺P(10:45)〜大吉寺仁王門跡(11:45)
〜南尾根出合〜P780峰(12:15/13:00)
〜天吉寺山(13:30)〜大吉寺跡〜P(15:05)
天吉寺山 シュミレーション
地  域 25:虎御前山/北東C 概要 伊吹山の西側に流れる草野川と姉川に挟まれた一帯は、七尾山から天吉寺山そして金糞岳へと繋がる山域で、700〜1000m前後の尾根が続きます。天吉寺山はその中央付近に位置しています。山岳仏教(密教)が盛んな頃、湖北地方の霊山として「伊吹の弥高山」、「古橋の己高山」、「浅井の天吉寺山」に寺院が設けられ、天吉寺山には大吉寺が標高660m付近に建立されました。栄枯盛衰の後、現在では遺構を残すのみとなりましたが、山麓にある大吉寺が隆盛期の一子院として法灯を守り続けています。狭い道路を進み、登山道は大吉寺の駐車場から始まり、渓流沿いの急勾配の道を高度を重ねてゆくと平坦なところに出ます。そこが大吉寺の遺構群です。夏草が茂り、登山道は隠れてしまい、かなりのブッシュ道を進んでゆくと天吉寺山南尾根に出ます。そこからはかすかな踏み跡を頼りに山頂までの稜線を進みます。眺望は期待できません。
Mapion 滋賀県浅井町/伊吹町
標  高 918m/300m=618m
距  離 約5.0km、斜度:max36°
体力度 36P、☆☆
山行日 2005.06.10、(曇・晴)
形  態 日帰り、2名
時  間 所要04:20/歩行03:15
アクセス 自家用車、00:40
備  考 急勾配、夏場草繁茂
大吉寺遺構をすぎると
登山道はご覧の通り
夏草で覆い隠され
どこが登山道だか
判りません
長いものなどが
潜んではしないかなどと
おもいながらも
キャラバンシューズだから
と思い直しながら
強引に踏み込んでいきます
そうでもしなければ
前に進まないのですから・・・
閼伽池(あかいけ)

この右側に「元池」という
湧水するところがあり、ここから
水道が付けられ、「あか池」には
年中清水が耐えることがない
といわれます、現在は谷に流れ落ち
てしまって、くぼ地となっています

言い伝えによると
浅井氏の居城である小谷城に残る
馬洗池の水は天吉寺山の
山頂からサイホン仕掛けの樋で
送られていたとも・・・・

寺院と武士の密接な関係を
物語るものの一つです

 大吉寺は、歴応元年(1338)の勧進帳によると、貞観7年(865)の草創と伝え、『吾妻鑑』『平治物語』には平治の乱のあと、源頼朝が大吉寺にかくまわれたことを記している。

 室町時代には、幕府の祈躊寺として保護を受けていたが、大永5年(1525)の六角定頼の兵火や、元亀元3年(1572)織田信長の破却などにより、寺院は衰退の一途をたどり、現在、天台宗寂寥山大吉寺の一子院が遺存するのみである。創建当時の堂宇は、天吉寺山の山頂付近に造営されており、本堂跡、門跡、塔跡、鐘楼跡、覚道上人入定窟、あか池などに石段を見ることが出来、更に、本堂へ至る山道の所々に堂宇が建立されていたと推定される平坦部がある。      滋賀県教育委員会

撮影日:2005.06.10

01 ユキノシタ
02 ユキノシタ・・拡大
03 ヤマツツジ
04 カヤ?の実
ルート・シュミレーション はこちらから
山麓の野瀬集落から見上げる天吉寺山の山容(西側尾根)
山頂からの眺望は
わずかに東の方向だけ
眼下には
姉川ダム近辺がみえます
山並みは奥伊吹の峰です

滋賀県教育委員会による
説明書きによる
「山頂付近に寺はあり・・・・」
とあることから
三角点は離れすぎで
780mピークが山頂ではないか
という説もあるようです
山頂からの東側眺望
南尾根のブッシュ
ブッシュは尾根に上がっても
続いていました
胸ほどの藪漕ぎでしたが
腕には笹による傷跡が残り
戦いの後を物語っています
幸い顔は災難を免れました

潅木が尾根を覆い
周囲の展望は
ほとんどありません
この時期の山行は得策でなく
木の葉が落ちる晩秋がいいかもしれません
鎌倉時代隆盛を極めた大吉寺に一切経を収めた
覚道上人の入定窟(にゅうじょうくつ)、夏草に覆われていました
渓流脇を通り、急勾配の登山道を登り始めます
山中のいたるところに石垣や石塔など
大吉寺の遺構がみられます
大吉寺山門です
改築されてまだ時がたたず木の香が漂っています
門前のモミジの紅葉の姿を
思い浮かべながら
眺めていました

創建当時の大吉寺は
山頂近くにありましたが
ここにあるのは
その子院の一つです

登山口ちかくには
立岩や釈神の滝、平岩などの見どころがあります
ブッシュ通過後は
かすかな踏み跡をたよりに
山頂まで進みます
下山路に予定していた
西側尾根ルートは
山頂直下にある近道分岐が
見つからず
やむなく、もと来た道を戻りました
一帯は滋賀県の史跡に指定されています
仁王門跡:あたりの空間から察すると
そんなに大きな規模ではないようです
山の彩り:4枚
天吉寺山山中にて
   (滋賀県浅井町)
本堂脇の堂宇跡を物語る石垣
大吉寺山門
三角点(標高:918m)
「大吉寺縁起」によると
本尊観音像は、粟津の天吉寺(桓武天皇創建)を本尊だとし、大同2年天吉寺は流失し、本尊は琵琶湖を漂流、安然上人によって天吉寺山 ( 寂寥山)に祀られた

「大吉寺勧進状」では
似た話が創建譚として語られ、寺名の由来は「延暦元年の洪水により、天吉寺の天の字の一が洗い落とされ、大吉寺」となったとする
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
閑話
源平の争いにより源頼朝が
(当時13歳)ここに難を逃れた
(吾妻鏡)とは別に
本能寺の変の折
当時、長浜城の城主であった
木下藤吉郎秀吉の妻:おねが
明智勢が攻めてくるのでは
と難を逃れたのも、ここ大吉寺
であるとの説もあります
(出所:NHK大河ドラマ「秀吉」)

2005.06.10、山行時お会いした
大吉寺檀家総代氏に確認

かように
歴史の裏舞台としても
かかわりのあった寺院です
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山悠遊-滋賀湖北