物生山 (むしやま)
撮影場所:物生山山麓、物生山から東に約0.7km                撮影日:2013.01.24
信長公は横山城の城番に木下藤吉郎を入れ、みずからは7月1日磯野丹波守員昌の籠る佐和山城の攻略に向かった。佐和山では四方に鹿垣をめぐらし、城東の百々屋敷に砦を構えて丹羽長秀を置き、北(※1)に市橋長利、南に水野信元・西の彦根山に河尻秀隆の各将を配置して諸口を封鎖し、四方より攻撃させた。

7月6日(正確には7月4日)、信長公は数騎の馬廻のみを引き連れて京へ入り、公方様へ戦勝の報告をおこなった。京には数日滞在して戦勝参賀の使者の応対などをし、8日に岐阜へ帰還を果たした。

信長公記 第三巻
 「金ヶ崎撤退〜姉川の戦い〜近江志賀の陣」より抜粋
西峰にある堀切
永禄13年(1570年、4月23日元亀と改元)の記述
【 参考 】
←佐和山城址
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物生山城址
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大洞山
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土橋(※わかりにくいですが)
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むしやまじょう
物生山城
別 名   遺構等 堀切、土塁、土橋
地  域 25znw:彦根東部/北西SW   現 状 山林+山頂
Mapion 滋賀県彦根市宮田町/松原町   築城者 --
標  高 190m/98m=92m   築城年 --
訪城日 2013年01月24日(曇・晴)   形 式 平山城
山悠々 磯山/物生山070405佐和山三山060427
佐和山三山080127佐和山三山130124
  規 模 東西100mx南北200m
概要 城に関して、伝承や記録は無く不明だといわれています
物生山城の存在については不明ですが、織田信長が築いた陣城ではないか、との考え方が一般的のようです
撮影場所:彦根市松原町、物生山から南西に約1.3km
※1 四方の付城うち、一般には北の城が磯山城と言われています。
   近年では、物生山城がそれではないかという説があります。
撮影場所:琵琶湖(岸米原入江)、物生山から北に1.7km
物生山城址
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野田山山系
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磯 山
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弁天山
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大洞山
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物生山
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物生山西峰
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伊吹山
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磯山への道は、物生越えと呼ばれるそうで
佐和山城時代には弾薬などが
運ばれた道ではないかとも言われています
このあたり一帯は、室町期に
「物生山城(むしやまじょう)」といわれる城がありました
物生山分岐
宮田山麓→
↑磯山/佐和山↓