撮影場所:物生山山麓、物生山から東に約0.7km
むしやまじょう
物生山城
別 名 --
 地理院
地図
緯度:35.293092
経度:136.270754
Mapion 滋賀県彦根市
宮田町
標  高 190m/98m=92m
遺構等 堀切、土塁、土橋
現 状 山林+山頂
築城者 --
築城年 --
形 式 平山城
規 模 東西100m
南北200m
城に関して、伝承や記録は無く不明だといわれています
物生山城の存在については不明ですが、織田信長が築いた陣城ではないか、との考え方が一般的のようです
←佐和山城址
信長公記 第三巻
 「金ヶ崎撤退〜姉川の戦い〜近江志賀の陣」より抜粋
物生山城址
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大洞山
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信長公は横山城の城番に木下藤吉郎を入れ、みずからは7月1日磯野丹波守員昌の籠る佐和山城の攻略に向かった。佐和山では四方に鹿垣をめぐらし、城東の百々屋敷に砦を構えて丹羽長秀を置き、北に市橋長利・南に水野信元・西の彦根山に河尻秀隆の各将を配置して諸口を封鎖し、四方より攻撃させた。

7月6日(正確には7月4日)、信長公は数騎の馬廻のみを引き連れて京へ入り、公方様へ戦勝の報告をおこなった。京には数日滞在して戦勝参賀の使者の応対などをし、8日に岐阜へ帰還を果たした。

永禄13年(1570年、4月23日元亀と改元)の記述
物生山 (むしやま)
撮影場所:琵琶湖(岸米原入江)、物生山から北に1.7km
物生山分岐
磯山への道は、物生越えと呼ばれるそうで
佐和山城時代には弾薬などが
運ばれた道ではないかとも言われています
このあたり一帯は、室町期に
「物生山城(むしやまじょう)」といわれる城がありました
【 参考 】
※1 四方の付城うち、一般には北の城が磯山城と言われています。
   近年では、物生山城がそれではないかという説があります。
西峰にある堀切
↑磯山
↓佐和山
宮田山麓→
物生山城址
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野田山山系
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磯 山
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土橋(※わかりにくいですが)
撮影場所:彦根市松原町、物生山から南西に約1.3km
弁天山
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大洞山
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物生山
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物生山西峰
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伊吹山
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