いそやま/むしやま ルート P(13:30)〜磯崎神社(14:00)〜磯山(14:20)
〜磯山山麓(14:50/15:05)〜浄化センター(15:25)
〜物生山(16:00/16:15)〜物生山橋〜P(16:50)
磯山/物生山縦走 シュミレーション
地  域 25zn:彦根東部/北西SW 概要 磯山(標高:159.5m)は佐和山山地の北に独立した形で張り出している里山です。室町時代には磯山城がありました。関ヶ原の合戦後、井伊直政が彦根に封じられた際、この地に城を築く候補にされた所とも言われています。北西端にある磯崎神社は日本武尊・他を祭神とする神社で、湖岸には墓印に置いたといわれる烏帽子岩があります。一方佐和山山地の北端にある物生山(標高:190m)にも物生山城址があります。城に関しての詳細は不明だといわれていますが、織田信長が築いた陣城ではないか、との考え方が一般的のようです。その後、佐和山城が整備されるにいたって、弾薬など物資搬入に利用されたのかもしれません。両山は矢倉川を挟んで相対しています。山行ルートは8の字を描くように設定しました。一部踏み跡の無い所があるので、夏場の虫がいる時期は避けたほうが賢明です。浄化センター周囲は、進入禁止区域がありますのでご注意を。
Mapion 滋賀県彦根市/米原市
標  高 190m/87m=103m
距  離 約7.0km、斜度:max23゜
体力度 24P、☆
山行日 2007.04.05、(晴)
形  態 日帰り、1名
時  間 所要03:20/歩行02:50
アクセス 自家用車、00:15
備  考 物生山:堀切2箇所急
撮影日:2007.04.05

01 ショウジョウバカマ
02 ショウジョウバカマ
03 スミレ
04 スミレ
05 スミレ
06 ツルニチニチソウ
07 ツルニチニチソウ
磯山南峰
  ↓
中 峰
  ↓
磯山三角点
  ↓
彦根市松原町(近江高校北門前)からの磯山眺望、磯山から南に約2.0km
ルート・シュミレーション はこちらから
伊吹山
  ↓
磯山南峰
  ↓
物生山西峰
     ↓
堀切
 ↓
物生山
  ↓
物生山東部山麓から
西方向をみる
磯山東部山麓から磯山東側を見る
磯山三角点
     ↓
中峰
 ↓
磯山南峰
 ↓
←宮田町
16:15
物生山橋東側展望
←磯山
↓物生山下山口
物生山
  ↓
菖蒲嶽
  ↓
伊吹山
  ↓
堀切にかかる土橋
※すこしわかりづらいですが
堀切に土を盛って
橋がかけられている状態です
湖北の山々
   ↓
伊吹山
  ↓
太尾山
  ↓
物生山頂上→
↑宮田町
もうすぐ物生山山頂です
大洞山→
↑宮田町/西峰↓
物生山西峰の堀切
物生山中腹からの磯山眺望
磯山三角点
  ↓
北 峰
  ↓
物生山城(むしやまじょう)

遺構等:堀切、土塁、土橋
現  状:山林
築城者:--
築城年:--
形式:平山城
備考:城に関して
伝承や記録は無く
不明だといわれています
物生山城の存在についても不明ですが、織田信長が築いた陣城ではないか、との考え方が一般的のようです
←物生山西峰
物生山山頂→
  ↑
矢倉川橋
磯山南峰
    ↓
物生山西峰からの眺望
南側斜面は伐採され、現在の所、眺望は抜群
14:45 物生山西峰、標高:150m
彦根城
   ↓
荒神山
  ↓
三上山
繖 山
 ↓
ブッシュから見た磯山南峰
こんな状態ですから
夏場は避けたほうが無難です
←物生山取付
浄化センターからの佐和山連山への登山は
進入禁止です。指合大橋東詰め北側から
ブッシュをかきわけ北に向かいます
  ↑
取 付
浄化センター→
←琵琶湖
15:25 東北部浄化センター
物生山
  ↓
堀切
 ↓
指合大橋
 
大洞山
 ↓
この峰(ブッシュ)
を巻いてゆきます

     ↓
  ↑
ここから
14:40 南峰(標高:160m) 展望無し
ここから南山麓へは踏み跡がありますが
東山麓へは踏み跡がありません
14:30 中峰(標高:140m)
     展望無し
磯山南峰
   ↓
アミダ峰
  ↓
野田山
  ↓
弁天山
  ↓
磯山城(いそやまじょう)
遺構等:土塁、曲輪跡
現  状:祠、展望所
築城者:松原氏
築城年:室町時代
形  式:平山城
備  考:佐々木六角氏の城
永正年間(1504〜1521年)に京極家の手によって落城
その後浅井亮政の時代には浅井方の城として機能
1570年、佐和山城に立て籠もる浅井方に対し織田方が築いた付城とも云われています
井伊直政が関ヶ原合戦後、佐和山城を廃し、城を築く際にこの磯山を候補の一つにしたといわれています
伊吹山
  ↓
金糞山
  ↓
山本山
  ↓
山頂にある神社の祠、平削地となっています
中腹にある神社鳥居脇から遊歩道がのびています
日本武尊が伊吹山で負傷し
この地で亡くなったそうです
聖武天皇の命で建立されたもの
毎年、5月3日に、日本武尊にあやかり
「武者行列」が行われています
伝えによると
日本武尊が坂本(琵琶湖の南)より船で松原(彦根市)に上陸して、伊吹山の賊を討ったが、熱病にかかって居醒の清水(醒ヶ井)で回復したものの磯山近くで亡くなったとされています。墓印として置かれた岩が烏帽子と言われています
金糞岳
  ↓
山本山
  ↓
小谷山
  ↓
「万葉集」には、高市連黒人の磯崎の詠があるをはじめ、大化改新によって近江国が
東山道の大国となり、国府が湖尻の瀬田に置かれ、天智六年(667)には
近江大津宮(おうみおおつのみや)に遷都されました。天智・弘文天皇二代五年の間
宮居となったところから、淡海(おうみ)・近江之海(おうみのうみ)はよく詩歌にうたわれています
歌碑 『 磯前(いそのさき) 漕ぎたみ行けば 近江の海
               八十(やそ)の港に 鶴(たづ)さはに鳴く 』   (万葉集:273番)
       高市連黒人
(たけちのむらじくろひと)の歌
               ※持統、文武両朝(687-700)に仕えた歌人

      訳 『 岩山の崎を漕ぎ廻って行けば  近江の湖の
          数ある河口の船着き場の芦辺には 葦原に餌をついばむ鶴が
          群れ鳴き騒いでいるよ 』
湖岸に立つ万葉集歌碑
磯山南山麓から
沖ノ島
 ↓
荒神山
 ↓
彦根城
  ↓
荒神山
  ↓
中 峰
 ↓
磯山三角点
   ↓
※註
記載の峰の名称が不明な場合は、編集子が便宜上つけていますのでご承知おきねがいます
例:北峰・中峰・南峰等
13:30
駐車をした矢倉川橋右岸の空き地
磯山の北山麓が見えています
JR線路→
←南西方向
北東方向→
 ↑
米原駅
太尾山
 ↓
伊吹山
  ↓
彦根市松原町からの佐和山山地北側の峰々、物生山から南西に約1.3km
山腹にある磯崎神社
山頂への遊歩道→
ポッカリと仕事があいた午後、天気も穏やかだし・・・・
近くで行きたい山、となると・・・・、ありました。いつも山麓を車で通過しているばかりで、低山のために山行の候補から外れていた山でもあります。城址や、日本武尊に関わる故事もある里山で、ゆっくりと味わいながら歩きました。時間に余裕があったので、隣の山へも・・・・
物生山山中にて
(滋賀県彦根市)
山中の彩り:7枚
物生山東側中腹よりの北側展望
16:00 物生山(むしやま)頂上
     標高:190m
登山口↓
↑物生山山頂
物生山西峰からの展望
物生山への取付:登山口としたところ
指合大橋からの磯山南峰
浄化センター↑
14:50 磯山下山(標高:90m)
     藪の中から出てきました
前方の跨線橋:指合大橋から物生山に向います
三角点と中峰の間にある岩場
14:20 磯山頂上(標高:159.5m)
     三等三角点:寅ヶ城
↑磯崎神社
中峰/南峰↓
磯山山頂からの南側展望
磯山山頂からの北側展望
山頂付近の遊歩道
14:00 磯崎神社 鳥居
↑彦根/長浜↓
↑磯山
磯崎神社前の湖岸にある烏帽子岩
烏帽子岩を磯山山腹より俯瞰
矢倉川河口と琵琶湖
山麓南側の眺め、前の川は矢倉川
矢倉川橋駐車場から東方向に物生山がせまっています
矢倉川橋駐車場から
北東方向の眺め
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
山聲-TOP
山悠遊-滋賀北鈴鹿