磯 山 (いそやま)
いそやまじょう
磯山城
別 名 虎ヶ城
地理院
地図 
緯度:35.301307
経度:136.259461
Mapion 滋賀県米原市
(米原町)磯
標  高 159.5m/87m=73m
遺構等 土塁、曲輪跡
現 状 磯崎神社祠+山頂
築城者 松原氏
築城年 室町時代
形 式 平山城
規 模 東西50m
南北200m 
佐々木六角氏の城
永正年間(1504〜1521年)に京極家の手によって落城
その後浅井亮政の時代には浅井方の城として機能
1570年、佐和山城に立て籠もる浅井方に対し織田方が築いた付城とも云われています。※1

井伊直政が関ヶ原合戦後、佐和山城を廃し、城を築く際にこの磯山を候補の一つにしたといわれています
磯山城址
  ↓
とらがじょう
虎ヶ城
別 名 --
地理院
地図 
緯度:35.296316
経度:136.261885
Mapion 滋賀県米原市
(米原町)磯
標  高 160m/87m=73m
遺構等 土塁、曲輪跡
現 状 山林+頂上
築城者 松原氏
築城年 室町時代
形 式 平山城
規 模 東西50m
南北200m 
磯山城と虎ヶ城の境は明確ではなく、別城一郭の城であったと考えられています
磯崎城(いそざきじょう)
彦根市松原町/米原市の磯山城と同一城と考えられている説もあります
磯崎氏が城主で、浅井氏によって陥落
以後、浅井氏の対六角氏の基地となった
という説です

また
彦根市松原町にある松原城遺跡/磯崎城(現在の旧彦根藩松原下屋敷隣)にも磯崎城の文字が出てきます。
位置:国土地理院、北緯 35.286332、東経 136.250133 
撮影場所:琵琶湖(岸米原入江)、磯山から北東に約1.7km
【 参考 】
信長公は横山城の城番に木下藤吉郎を入れ、みずからは7月1日磯野丹波守員昌の籠る佐和山城の攻略に向かった。佐和山では四方に鹿垣をめぐらし、城東の百々屋敷に砦を構えて丹羽長秀を置き、北に市橋長利・南に水野信元・西の彦根山に河尻秀隆の各将を配置して諸口を封鎖し、四方より攻撃させた。

7月6日(正確には7月4日)、信長公は数騎の馬廻のみを引き連れて京へ入り、公方様へ戦勝の報告をおこなった。京には数日滞在して戦勝参賀の使者の応対などをし、8日に岐阜へ帰還を果たした。

永禄13年(1570年、4月23日元亀と改元)の記述
信長公記 第三巻
 「金ヶ崎撤退〜姉川の戦い〜近江志賀の陣」より抜粋
※1 四方の付城うち、北の城が磯山城と言われています。
   近年では、物生山城がそれではないかという説があります。
磯山三角点
    ↓
撮影場所:彦根市松原町(近江高校北門前)、磯山から南に約2.0km
中峰
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磯山南峰
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磯山城址
 
虎ヶ城址
山頂の平削地
※祠は磯崎神社の山上祠
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