撮影場所:琵琶湖岸(米原入江)から、太尾山から西南西に約2.2km
佐和山丘陵
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菖蒲嶽城址
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太尾山城-北城
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太尾山0702 (ふとおやま)、太尾山09031302
ふとおやまじょう
太尾山城
別 名 --
地理院
地図 
緯度:35.313057
経度:136.298578
Mapion 滋賀県米原市
(近江町)西円寺
標  高 254m/100m=154m
遺構等 曲輪跡、堀切、土塁
現 状 山林
築城者 米原氏
築城年 --
形 式 山城
規 模 東西50m
南北300m
鎌倉時代に佐々木氏が街道の監視の城として築いたと推測されています。鎌倉執権北条高時の時代のこの城は佐々木京極高氏(道誉)の支城であったようです
太尾山城 案内図 (現地標識)
南城北側堀切
菖蒲嶽城尾根からの太尾山
太尾山城-南城
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太尾山-北城
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彦根東部山地
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北城跡(太尾山頂上)、標高:254m
地頭山城址
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伊吹山(雲の中)
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太尾山
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南城址東側高圧鉄塔切開きからの北側展望
南城址東側高圧鉄塔切開きからの南西側展望
南城址東側高圧鉄塔切開きからの南西側展望
北城跡(太尾山頂上)からの北側展望
南北朝時代、源頼朝が平家を滅ぼすや、佐々木氏は戦功により近江の守護職に任ぜられて、この地が京都に通じる北陸道及び中山道の要路のため、ここに小城を築き警戒に当たった。山城は痩せた尾根を堀切って、左右の絶壁から敵の攻撃を不可能にする地形を選んで、山全体を利用して築かれた。この太尾山城は、北と南に主郭があり、別城一郭といわれ、今も見事に堀切や土塁、曲輪跡が残されています。
     (現地標識より-抜粋)
北城跡を南側から眺める
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南城北側堀切
佐和山
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繖丘陵
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八日市丘陵
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荒神山
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弁天山
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北城跡よりの堀切
↓北城跡/南城跡↑
尾根道
↓北城跡/南城跡↑
南城北側堀切
↓北城跡/南城跡↑
       湯谷神社→
↓北城跡/南城跡↑
       湯谷神社→
南城北側堀切
←北城跡/南城跡→
       湯谷神社↓
南城跡
北城跡
鎌刃城址↑
堀切
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湯谷神社
↓北城跡/南城跡西側→
南城跡
南城跡西側の堀切
南城跡からの鎌刃城址
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鎌刃城址
西坂山
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竜宮山
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鎌刃城址
イブキ
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イワス
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向山(芹川北)
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竜宮山
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八葉山
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西坂山
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北城跡(太尾山頂上)からの東側展望
三又峰
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横山丘陵
顔戸山砦・日光寺山砦跡
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伊吹山(雲の中)
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地頭山城址
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