正面見上げ
正面左脇
正面左脇
正面右脇
門紀行:金剛輪寺 二天門
山聲-TOP
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近隣にある西明寺の二天門には、向って左に増長天、右に持国天が安置されています
         (出典:淡交社・古寺巡礼)、※甲良町の説はこの逆
                          ※諸兄のhpを閲覧しても諸説バラバラ
当hpでは、左側(向って右)が東方守護ということから、また西明寺にならい
        (※二天のみの場合の配置は、方角に関係ないという説があります)
右側(向って左)を増長天(阿形像)、左側(向かって右)を持国天(吽形像)といたします
それでも、阿吽の位置が一般とは反対ですが・・・・
いやはや、こんがらがってきました、結局は断定できません
持国天・増長天の二天が安置されているのは共通しているということで、まとめておきます
とはいわれるものの、明確な定めはなく、持ち物や形からだけでは特定できないといわれます
阿吽:宇宙の始まりと終わりを表す言葉
    此の世に産まれ出て、悟りを求める心を起こして、そして涅槃にいたる
阿吽像(あうんぞう)
  門の左右に安置される二体一対で、二王とも称されます
  口を開けたのが阿形、口を閉じたのが吽形となります
  これは、「狛犬」とおなじで広く知られています、また「阿吽の呼吸」の語源でもあります 

通例の配置は、左側(向かって右側)には阿形像、右側(向かって左側)には吽形像を安置
実際の方角ではなく、自分から見て右を東、左を西と考えて配置するとされています
しかし、古代には逆の配置もあり、金剛輪寺の場合は、まさに後者です
阿形像を左に安置するのは、左を上座とする日本的儀礼に基づいた配置という説もあるようです
   仁王門(二王門とも):仏教の守護である阿形と吽形の二王(金剛力士)像を
        左右に安置したもの
   二天門:門の左右に四天王(東方:持国天、南方:増長天、西方:広目天、北方:多聞天)
        のうち二天像を安置したもの(多聞天は独尊として安置する場合は毘沙門天と呼ぶ)
   随神門:神社で、随神姿の二神の像を左右に安置する門
        仏寺の仁王門に倣ったものと言われ、この二神を俗に矢大臣・右大臣ともいう
             参考文献:重要文化財(毎日新聞社)、古寺巡礼(淡交社)、Wikipedia、他

持国天:普通左手に刀を持ち
     右手を腰に当てる姿、唯一兜をかぶる
     仏塔では本尊の向かって右手前に安置
標   題 金剛輪寺 二天門
地   域 25zc:百済寺/北西N
Mapion 滋賀県秦荘町松尾寺
山 行 日 2015年07.月20日、(晴)
間 口 三間一戸
特 徴 八脚門、重要文化財
リ ン ク 山悠遊:金剛輪寺-夏秦川山(松尾寺山)
概   要 鈴鹿山脈西側の前衛に位置する秦川山は、別名:松尾寺山とも呼ばれ、湖東三山のひとつである金剛輪寺の裏山にあたります。金剛輪寺は、鎌倉期に元寇の乱の戦勝記念として建立された雄大な本堂は国宝に、左上段に建つ三重塔、本堂前の二天門は重要文化財に指定されております。天台宗の寺院。山号は松峯山(しょうほうざん)。地名から松尾寺とも呼ばれます。
二天門は、本堂よりおくれて室町時代中頃に建立、八脚門ともいわれるように当初は楼門でありましたが江戸時代中頃に二階部分を取り壊し、現在の一重にしたと伝えられています。
桧皮葺、入母屋造り
吽形像
阿形像
増長天:普通右手に戟(げき)や鉾(ほこ)を持ち
     左手を腰に当てる姿
     仏塔では本尊の向かって左手前に安置
※一般的には向って左に吽形像を安置     
※一般的には向って右に阿形像を安置
大草鞋  もち藁300束使用、縦:2.5mx幅:0.8m、重さ:70kg
               銭貨を挟むと幸せになるという言い伝えがあります
背面額縁
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正面右脇
増長天像(阿形像)※持国天説有
持国天像(吽形像)※増長天説有
正面遠景
側面
本堂縁側より右背面遠景
右背面
左背面
正面見上げ
大きな草鞋(わらじ)が吊るされているのは、七難即滅(しちなんそくめつ)を願う信仰
2010.11.26
七難とは・・・・太陽の異変、星の異変、風害、水害、火災、旱害、盗難
即ち、世の中の七つの大難が消滅することを念じ、願いがかなえば七福が生ずる
これにあやかるように、七福神の信仰が産まれ、江戸後期には盛んになりました
正面見上げ
正面遠景