山悠遊-石川金沢
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
かなざわじょうこうえん |
ルート |
米原(06:50)〜金沢駅(09:15)〜路線バス(09:40)
〜兼六園(09:50)〜金沢城公園(11:40)
〜徒歩(12:40)〜金沢駅(13:20/13:50)〜米原(15:50) |
金沢城公園 |
地 域 |
17:金沢/北西C |
概要 金沢城は、江戸時代には加賀藩主前田氏の居城で、城址は国の史跡に指定されています。金沢平野を流れる、犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた、戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城です。櫓や門に見られる、白漆喰の壁にせん瓦(焼成した煉瓦)を施した海鼠(なまこ)壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓1重目や塀に付けられた唐破風や入母屋破風の出窓が、金沢城の特徴です。この地は加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院である「尾山御坊(おやまごぼう、御山御坊とも)」で、大坂の石山本願寺(大坂御坊)と同じく石垣を廻らした城ともよべる要塞でもありました。織田信長が一揆を制圧し、跡地に金沢城を築いて佐久間盛政を置きました。賤ヶ岳の戦い後、羽柴秀吉は金沢城を前田利家に与えた。城址は明治以降、軍施設が置かれ一部を残して撤去され、現在は、金沢城公園として一般開放されています。 |
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石川県金沢市丸の内 |
標 高 |
60m/30m=30m |
距 離 |
約―km、斜度:max―゜ |
体力度 |
―P、☆ |
山行日 |
2016.07.23、(晴) |
形 態 |
日帰り、1名 |
時 間 |
所要01:00/歩行― |
アクセス |
公共交通、03:00 |
備 考 |
特に支障なし |
東の丸太鼓塀
鶴丸倉庫(重文)
鶴丸倉庫石垣下
鶴丸倉庫前からの五十間長屋
戌亥櫓石垣越しの橋爪門続櫓
卯辰山
↓
奥医王山
↓
↑
兼六園
戌亥櫓跡から本丸の森
戌亥櫓跡
鉄門石垣
鉄(くろがね)門跡:二の丸から本丸に入る正門
↑
戸室山
極楽橋と三十間長屋石垣と空堀
羽柴秀吉から金沢城を与えられた前田利家は、文禄元年(1592)から改修工事を始め、曲輪や堀の拡張、5重の天守や櫓を建て並べました。典型的な平山城で、櫓を多用した構造になっています。瓦には、冬の積雪に耐えられるように軽量であり、有事には鉄砲弾にもなる鉛瓦が用いられています。本丸・二の丸・三の丸がありましたが、天守や三階櫓の焼失後は二の丸を藩主の居所とした。天守は再建されませんでした。
兼六園連絡歩道橋からの石川門櫓(帰路)
金沢駅前広場のモニュメント、櫓門をイメージしたようにも見えますが・・・・
石川門櫓(帰路)
丑寅櫓跡からの三の丸俯瞰
戌亥櫓石垣上から橋爪門、五十間長屋、二の丸俯瞰
↑
兼六園
三十間櫓石垣上からの展望
極楽橋から二の丸広場
三十間長屋石垣と空堀
極楽橋側面
橋爪(はしづめ)橋
三の丸広場
河北門前広場
菱櫓、河北門
三の丸広場、五十間長屋
兼六園蓮池門通りからの石川門櫓
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金沢駅前広場のモニュメント柱脚
橋爪門南方太鼓塀と堀、三の丸広場
鶴丸倉庫まえからの戌亥櫓石垣と空堀
丑寅櫓跡からの東側展望
丑寅櫓跡
三十間長屋(重文)
極楽橋、右奥に三十間長屋
二の丸広場からの五十間長屋
五十間長屋唐破風
河北門前広場北側太鼓塀
あまり堅固な城とは言えず、有事の際は城下町にて敵を迎え撃つため軍事拠点として多くの寺が建立されました。そのうちのひとつ、妙立寺(通称忍者寺)の井戸には金沢城に通じる抜け穴があるとされています。この他、城内には内堀が、城外には東西の内外計4本の惣構堀(そうがまえぼり)が掘られていました。惣構堀は、後に用水路として転用されている部分が多くあります。兼六園は、加賀藩五代藩主前田綱紀が金沢城に付属してつくらせた大名庭園です。兼六園内の山崎山は、惣構外郭土塁の一部であり、その南側の池は水堀の名残りです。
(wikipedia抜粋編集)
東の丸太鼓塀附門(高麗門)
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奥医王山
↓
白兀(しらはげ)山
↓
菱櫓
橋爪門続櫓、五十間長屋、
金沢城址案内板(現地案内板)