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旅悠遊-滋賀湖北南
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
いぶきさんかんのんじ ルート 伊富貴山観音寺(09:40/10:50)
伊富貴山観音寺
地  域 25ns:長浜/北東C 概要 観音寺は、宗派:天台宗、山号:伊富貴山、本尊:十一面観音、創建:仁寿年間(851-854)、開基:三修、正式名:伊富貴山観音護国寺、別称:大原観音寺。もとは、伊吹山四大護国寺(弥高寺・大平寺・長尾寺・観音寺)として、法相宗に属していましたが、弘和(永徳)3年(1383)に天台宗に改めました。寺伝によると、鎌倉中期の正元年中(1259-1260)に今の地に移転し、弘長年間から弘安年間に至る約20年間にほぼ寺観と什物を整えたとされています。鎌倉から室町にかけては、時の領主であった地頭:佐々木大原氏によって庇護を受け、戦国時には、浅井亮政・久政・長政からも多くの寺領を安堵されています。長浜城主の羽柴秀吉は、たびたび立ち寄り「三碗の才」で知られる石田三成を見出しています。江戸時代には、彦根藩:井伊氏の所領として幕末に至ります。寺坊は、盛時には二十三坊あったとされ、現在は本坊、玉泉院の二坊を残すのみです。
Mapion 滋賀県山東町朝日
標  高 170m/149m=21m
距  離 約―km、斜度:max―°
体力度 ―P、Θ
山行日 2024.10.17、(晴)
形  態 日帰り、1名
時  間 所要01:10/歩行00:200
アクセス 自家用車、00:30
備  考 特に支障なし
門前からの伊吹山パノラマ、※写真クリックで拡大表示
伊吹山山頂:望遠、山崩れが顕著、※2024年10月時入山禁止中
惣門遠景
「横山城城址梵鐘堂改修工事」案内板、※写真クリックで拡大表示
寺号碑過ぎからの参道
寺号碑側面「近江西国三十三箇所十二番」、※判読できず
寺号碑・参道
芭蕉句碑
「石田三成 水汲みの井戸」案内板、※写真クリックで拡大表示
玉泉院庭園
玉泉院
玉泉院長屋門右正面
前庭
本坊
本坊長屋門背面
本坊長屋門正面額縁
本坊長屋門、左奥に階段参道・本堂
階段参道から本坊俯瞰
「大河ドラマ「江〜姫たちの戦国:ゆかりの地」写真
石仏
鎮守社
鎮守社中景
鐘楼
薬師堂前からの本堂・鐘楼
本堂からの薬師堂・渡廊下
薬師堂正面
本堂右正面
鐘楼前からの本堂
本堂左正面
本堂向拝左側面、右奥:鐘楼
手水場
手水舎
上壇への参道
惣門過ぎの参道
門前の放生池、蓮が生育しています
門前の放生池、「宝道心也」の碑が建つ
伊吹山五合目付近、山崩れ望遠
芭蕉句碑、※写真クリックで芭蕉句碑案内板表示
石田三成 水汲みの井戸
蹲踞と鬼瓦
上壇からの参道見返り、※彼方の山は霊仙山系
階段参道からの本堂
総門前、総門全景
長浜城主の羽柴秀吉は、寺領を安堵するとともに、長浜城主時代にたびたび立ち寄り、天正4年には観音寺に茶屋を申付けています。 その頃小僧をしていた石田三成が、鷹狩りの際に訪れた秀吉に、一杯目は大きい茶碗でぬるめのお茶を、二杯目は中くらいの茶碗でやや熱めのお茶を、三杯目は小さい茶碗に熱いお茶を差し出し、その才能を認められ、出世の糸口を作ったという話が伝えられています。これが世に知られる「三碗の才」のエピソードです。そのお茶の水を汲んだとされる古井戸も残っています。(木之本町古橋の法華寺にも同じような説が伝わっています)
「伊富貴山 観音寺」案内板、※写真クリックで拡大表示
寺号碑「伊富貴山観音護国寺」
玉泉院庭園
玉泉院長屋門左正面
本坊長屋門前からの参道見返り
本堂向拝前からの鐘楼
薬師堂中景
鐘楼前からの薬師堂・渡廊下
「観音寺本堂」案内板、※写真クリックで拡大表示
上壇パノラマ、正面:本堂、右:鐘楼、右奥:薬師堂
※寫眞クリックで拡大表示
上壇・階段上詰脇の石仏
上壇への階段参道
「大原観音寺・横山(観音寺山)観光案内図」案内板、※写真クリックで拡大
惣門正面、惣門:詳細はクリックで表示
本堂正面