標 題 | 久能山東照宮 一ノ門 |
山 行 日 | 2015年(平成27年)02月12日、(晴) |
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静岡県静岡市駿河区 |
間 口 | 三間一戸 |
特 徴 | 変形薬医門(元は楼門) |
リ ン ク | 社寺探訪:久能山東照宮 |
概 要 | 推古天皇(592-628年)の頃、久能忠仁が久能寺を建立し、奈良時代の行基を始め、多くの名僧が往来し、隆盛をきわめました。永禄11年(1568)、駿府へ進出した武田信玄は、この山頂に砦を造って久能城としましたが、
武田氏の滅亡とともに徳川家の支配下となりました。家康の死後、その遺骸は遺命によって久能山に葬られ、元和3年(1617)に2代将軍:秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が、死後わずか1年7か月で造営されました。徳川家康を祀る最初の神社、それが久能山東照宮です。 山麓から1159段の石段を登ると久能山東照宮の一ノ門があります。この地は久能城の大手門の跡地で、この門の内側から重要な境内として門衛所が設けられ厳重に管理されていました。元和3年(1617)建設当時は、楼門だったものの明治17年(1884)の強風で大きな被害を受け、2層部が取り払われました。彫刻など華美な装飾は無く白木造りで質実な建物となっています。 この門は、切妻箕甲付造り銅板葺。片側潜り戸付。両袖石垣。 |