山呼-リスト
山呼らいぶらり〜:雑記帳
2015.07.23
※ご参考までに
このコラムは管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵資料からの引用です
地 蔵 信 仰
滋賀県秦荘町 金剛輪寺、撮影日:2015.07.22
盛夏到来
湖東三山 真ん中の寺
金剛輪寺は紅葉の名所として、滋賀県のみならず全国的に知られているようで
関東圏のツアーの方々もよく出会います
近くの資料館で「湖東 鋳工の名工」と題する企画展にあわせて
金剛輪寺の拝観にやってきました

紅葉の古寺もいいのですが、夏の古刹もいいものです
深緑の間から漏れる強い日差しも格段に弱められ、過ごしやすい空間が出現しています
もちろん盛夏ですからそれなりの代謝は当然です
山旅の疲れをリフレッシュする意味でも、古寺探訪は編集子にとっての清涼剤です

境内に入るとお地蔵様の多さに圧倒されます
(編集子の記憶をたどると、ここ15年で整ったようです)
千体地蔵として、石仏が参道や境内に鎮座しています、その数ざっと2000体以上
一体ごとに前掛けをかけ、今どきのカラフルな塩ビ製風車が添えられています
一陣の風が吹き抜けるたびに、静かな境内が賑やかになります
宿業にとらわれ、からまった心のひもを解ほどくように・・・・



さて、その地蔵信仰とは、どういうものなのでしょうか・・・・
地蔵信仰はインドに起り
中国を経て日本にもたらされたという地蔵菩薩の信仰です
地蔵は地獄に落ちて苦しみにあう死者を、地獄の入口で救済すると信じられています
地獄の入口を村境にあてはめ、その境の神の信仰と結びついたと言われています

今昔物語などには「悪いことをしたら地獄に落ちる」という思考でまとめられ
詠む人の意識の中で地獄が恐れられ
しだいに人々を救済する地蔵が重んじられるようになります
さらに時代が進み
南北朝から室町時代には、「現世利益」への民衆信仰がおこります
戦国時代には
武士の危機を救う「身代わり地蔵」などの信仰があり
生死の境を駆け引きする極限の状態における、こころのよりどころとして
我が身を仏に託す(信仰する)ようになり
戦場などにも懐中したといわれます

すなわち、地蔵菩薩によって我が身や身近な人が救われることを願います
前世や現世の業縁によって地獄に堕ちた人々が救済されるという信仰です
他方
阿弥陀様や観音様など他の仏様は
人々を地獄に堕とさないための信仰だといわれます
すなわち、死後は地獄に堕ちることなく極楽往生できるという信仰です

民衆は
当然のことながら
このわかりやすい「現世利益」に飛びついたと考えます
滋賀湖東地方では
今でも地蔵盆など、お地蔵様を信仰する行事が盛んです



・・・・豆知識・・・・

お地蔵様と閻魔様は同一人物です(十王信仰)
人が亡くなると一定期間喪に服します
その期間は、一般的に49日間ともいわれます
忌明けは、普通七七日(なななのか)ですが
三月(みつき)にわたることを嫌われる場合があります
そこで
五七日(いつなのか)で忌明けをすることも許容されています
その日に照応(二つのものが互いに対応すること)する仏様が地蔵菩薩です
そして、その王が閻魔大王です

生前の善悪のみでなく
死後に遺族が行う追善供養も重要な要素ということです
これが
私たちが親しい人とのお別れに際する心の在り方の根拠となるひとつと理解しています

自分一人を救済するのは地蔵菩薩であり、他の仏様です
私たちは、それを信仰します
さらに多くの人を救済するのが
千体地蔵の存在
ではないか、と思っている今日この頃です・・・・

関連事項として 「 地蔵様は閻魔様 」 のコラムをご覧いただけます
滋賀県愛東町 引接寺万燈会、撮影日:2011.08.22
滋賀県木之本町 浄真寺、撮影日:2010.07.05