童謡や歌謡曲の中にも「お地蔵さま」が歌詞の中に登場してきます。このようなことは、その他の仏様にはあまりないようです。これも「お地蔵様」が人々に慕われている表れなのでしょう。
・花笠道中(唄:美空ひばり)
♪これこれ 石の地蔵さん 西へ行くのはこっちかえ だまっていては 判らない
ぽっかり浮かんだ白い雲 なにやらさみしい 旅の空 いとし殿御のこころのうちは
雲にお聞きと 言うのかえ
・別れの一本杉(唄:春日八郎)
♪泣けた泣けた こらえきれずに泣けたっけ あの娘と別れた悲しさに
山のカケスも泣いていた 一本杉の 石の地蔵さんのよ〜 村はずれ
・おさげと花と地蔵さん(唄:三橋美智也)
♪指をまるめて のぞいたら 黙ってみんな 泣いていた 日暮れの空の その向こう
さようなら 呼べば遠くで さようなら おさげと花と 地蔵さんと
・ノーエ節(民謡)
♪富士の白雪ヤ ノーエ・・・・
お客こまればノーエ お客こまればノーエ お客サイサイ こまれば石の地蔵さん
石の地蔵さんはノーエ 石の地蔵さんはノーエ 石のサイサイ地蔵さんは頭が丸い・・・・
・見てござる(童謡)
♪村のはずれの お地蔵さんは いつもにこにこ 見てござる なかよしこよしの
ジャンケンポン「ホイ」 石けり なわとび かくれんぼ 元気に遊べと 見てござる・・・・
ホント!
ほとんどの方が驚きの声をあげられる
最近は、何のことかと、キョトントする方もおいでのようです
『お地蔵さんは閻魔さん』
地蔵菩薩は閻魔大王の化身(変わりの姿)ということになりましょうか
( 私には、少々難しいのですが、詳細がメモ帳にありましたので、文末に転載いたします
出典が記載されていませんでした、どこかの論文を転写したものだと思います )
毎月24日はお地蔵さまの縁日です。特にお盆の期間にあたる7月24日の縁日が「地蔵盆」と呼ばれ、重要視されます。近年では、月遅れの8月24日に行われるのが多いようです。
特に、近畿地方が盛んで、子どもたちが、お地蔵さまを飾り付け、お供えをして共に過ごし、お参りされる方を迎えます。現在は子どもの数が少なくなり、昔の子どもたちがお世話をしています。
お地蔵様は、「村」のはずれにたっていたような記憶があります
これは
日本では、古来より
村の外部は「あの世:鬼がすんでいる」で、内部は「この世」である、という思想があったようです。
そこで、鬼の世界と人間の世界の両方に存在できるお地蔵様が
人々を護るため、その境界である「村」のはずれにたっているのだそうです。
お地蔵様は、お坊さんの姿や、子どもの姿があります
これは
歴史的には、お坊さんの姿(僧形)が古い形で、12世紀頃から子どもの姿(童子)の形がでてきたといわれます。
民間信仰に溶け込んでいく中で、呼びかたも「地蔵菩薩」から「お地蔵さま」に変化していったものと思われます。
「お地蔵さまは、子どもをまもり、身代わり的なご利益がある。また、来世の救済もしてくれる」
いわば、スーパー・ヒローのような面も兼ね備えているというように信じられ、私たちにとって、
もっとも親しみ深い仏様(菩薩)として、今日に至っているのだと思います。
延命地蔵、腹帯地蔵、子育地蔵、片目地蔵、笠地蔵、などなど・・・・
山葵の山行まっぷ
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今日のことば
いってみたいなこんなとこ;山行や旅行
322版:平成15年8月19日火曜日
お地蔵さんは
閻魔さん
♪村のはずれのお地蔵さんは・・・・
私の子どもの頃は
道端や畦道に
お地蔵様がおいででした
立派な祠にお祭されている
お地蔵様もあり
私たちの日常生活のすぐ傍に
お地蔵様がおいででした
今では、昔の子どもたちが
年に一度集う個所に
変わってしまいました
お地蔵様も淋しいことでしょう
地蔵盆にちなみ、山行で出会った
お地蔵様や仏様を特集いたします
県名
印の県に「目的地」があります
こんにちは お地蔵さん
◆地蔵菩薩と閻魔さま |
地蔵菩薩は釈迦が没したあと、弥勒仏が出生するまでの無仏世界で、濁悪の世界からすべての人間を救済することを仏にゆだねられた菩薩で、また六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)に落ちた者を救済することでも知られている。
地蔵菩薩は様々な姿をとり、人々を救おうとする。そのなかで地蔵菩薩は閻魔王に化身する。
そこに地蔵と閻魔を同体とし、地蔵を地獄の支配者、救世主とする「地蔵十王図」が描かれた。
閻魔さまは閻羅と呼ばれ、冥界で裁判を行う十王の一人とされている。そして閻羅は地上で生活をする人間で、何日かに一回死んで冥界に行き死者を裁いた後、再び生返る、という生活をしているとされている。中国の民間習俗と習合され、独自の仏も登場してまいります。
その仏典によると、人は死後、王の王府を通り十王の審判を受け、その罪が定められる。
その時期と王の名前、照応する仏の名は次の通りです。 |
第一 初七日( 7日) 秦廣王 不動明王 |
第六 六七日(42日) 変成王 弥勒菩薩 |
第二 二七日(14日) 初江王 釈迦如来 |
第七 七七日(49日) 太山王 薬師如来 |
第三 三七日(21日) 宋帝王 文殊菩薩 |
第八 百か日 平等王 観世音菩薩 |
第四 四七日(28日) 五官王 普賢菩薩 |
第九 一年 都市王 勢至菩薩 |
第五 五七日(35日) 閻羅王 地蔵菩薩 |
第十 至三年 五道輪転王 阿弥陀如来 |
(この内、閻羅王以外は中国道教または民間信仰から生まれた王) |
こうして死者は、三年を過ぎ十王のすべてに審判を受け、使者はその行き先を決められるのです。地獄に落ちた者にも、やはり救いはあります。閻魔さまは地蔵菩薩となり、地獄にあって子供や亡者を鬼から守り、地獄の釜から人を救い上げられます。 |
柏尾廃寺の千体石仏
山行日:2001.09.09(晴)
所在地:岐阜県養老町
養老の滝から
約3kmの所に
柏尾廃寺がある
古びた観音堂と神社があり
夏でも樹幹に囲まれ涼しい
そこから100mほど先に
小山にまあるく石仏を並べ
千体地蔵が祀られている
ここは、東海自然歩道の
道筋にあたり
ハイカーが驚きの
声を挙げていく
引接寺の石仏
山行日:2001.10.06(晴)
所在地:滋賀県愛東町
湖東三山の一つ
百済寺の山門の下にある
引接寺(いんしょうじ)には
周囲に散乱していたり
民家などで使用されていた
五輪塔、石仏などを集めた
「来迎浄土」があります。
毎年8月22日には
6,000体もの石仏に
ろうそくが灯され
幻想的な風景を
かもし出します
路傍の石仏:坂本
山行日:2003.04.17(晴)
所在地:大津市坂本
西教寺から
日吉大社に至る
山辺の道に祀ってあった
周囲は小規模な棚田で
農作業の途中であろうか
道端で一服されている
のどかな風景があった
おそらくは
近在にあった石仏が
いつの頃からか
この地に集めて
祀られたものなのだろう
民家のお地蔵さん:不破
山行日:2003.03.20(晴)
所在地:岐阜県関ケ原
旧中山道沿いに
藁葺き屋根の民家を見っけ
その道沿いに
お地蔵様は居られた
簡単な祠ではあるが
お地蔵様に込める
この家の主の
思いが伝わってくる
岩船寺の三体地蔵
山行日:2001.10.09(曇)
所在地:京都府加茂町
岩船寺の裏山の藪にある
岩を彫り出したもの
この地域は、浄瑠璃寺と共に
当尾の里(とおののさと)と
呼ばれていて
多くの参詣者が訪れる
岩船寺から浄瑠璃寺の間は石仏があり
遊歩道も整備され
ハイカーにも人気がある
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
山呼らいぶらり〜