この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て作成しています。(承認番号 平25情使 第539号)
ルート概要

● 琵琶湖経由のルート(淡海路※) ※編集子が名つけてみました
小浜から琵琶湖の水運を経由して京都へ至るルート
古代は勝野(現・高島市勝野)や木津(現・高島市新旭町)などが
鎌倉時代以降は今津(現・高島市今津町)を主な水陸中継地としていました
のち、豊臣秀吉が若狭往還の荷物をすべて今津経由とするなどの庇護を受けたほか
若狭街道が朽木方面へ折れる道をさらに直進し今津へ至る道(九里半街道)が整備され
伏見城築城のための資材輸送にも利用されました
なお、湖上から京都への陸揚げは山中越を介して最短となる坂本が利用されましたが
のちに秀吉が伏見や大坂への利便性が高い大津を保護し
坂本などから移した船をあわせて大津百艘船を組織しました

● 西近江路ルート
今津から琵琶湖の西側を陸路で辿るルート
おおむね現在の国道161号に該当しています

● 小浜街道ルート(根来・針畑ルート)
小浜から遠敷川沿いを上り、根来坂峠・小入谷(現在の高島市朽木小入谷)から
現在の滋賀県道783号を経て久多・花脊峠へ。さらに鞍馬街道を経て京都へ至るルート
小浜から京都への最短距離をとることから良く利用されました
昭和初期以降は利用が廃れたため根来坂峠が廃道となっていましたが
近年になって観光や地域文化振興などの観点から登山道として整備されつつあります

● 周山街道ルート
小浜から名田庄を経由するルート
おおむね現在の国道162号に該当します

● 西の鯖街道
高浜から名田庄を経由し、以降小浜からのルートに同じ
                                      (Wikipedia より)
※ 青ボタンをクリックすると峠の詳細が表示されます
百里ヶ岳
三国岳・経ヶ岳
峰床山・鎌倉山
山呼-リスト
2015.04.24
山呼らいぶらり〜:雑記帳
※ご参考までに
このコラムは管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵資料からの引用です
 鯖 街 道
鯖街道は
若狭国などの小浜藩領内(おおむね現在の嶺南に該当)と京都を結ぶ街道の総称です
主に魚介類を京都へ運搬するための物流ルートでした
その中でも特に鯖※が多かったことから、近年になって鯖街道と呼ばれるようになりました
          (※18世紀後半ごろより、鯖が多く運ばれたともいわれています)
鯖街道の起源は1200年以上、あるいは約1300年前と考えられています
街道の中間点であるネグロ坂峠の訪問に際し、鯖街道についてまとめてみました

生サバを、塩でしめて京都まで運ぶとちょうど良い塩加減になり
京都の庶民を中心に重宝されたといわれています
夏期は運び手が多く、冬期は寒冷な峠を越えることから
運び手は少なかったといわれます
しかし、冬に針畑峠(別名:根来坂峠)を越えて運ばれた鯖は
寒さと塩で身をひきしめられて、特に美味であったとされていました
運び人の中には冬の峠越えのさなかに命を落とす者もいたと伝わっています
現代においても
小浜や国道367号沿線などには鯖寿司の製造を生業とした店が多数存在しています
                                           (Wikipedia)


四周を山で囲まれた近江の国は山越えの道で隣国とつながっていました
道ができると、当然のことながら人や物資の往来が盛んとなります
そこに利権が生まれ、為政者の目に留まります
さらに、比叡山の存在や、朝廷の院宣などがからみあい
やがて
「 近江を制する者は 天下を制す 」 といわれるようになりました

街道の発達とともに市場が整備され、「商人」という生業が活躍することになります
近江商人がこれを土台にし、全国に拡大していったことは広く知られているところです
     近江商人の哲学
       ・ 三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」
       ・ 単なるケチでなく、本当に良いものは長く使い、長期的視野で考える
       ・ 営利至上主義に対する諌めとして、利益は努力した「おこぼれ」
       ・ 自己顕示や見返りを期待せず人のために尽くすこと
いわれてみれば、うなづくことばかりです

しかし、最近の株式市場などに目を移すと
マネーゲームに写るのは貧乏人のヒガミだけでしょうか・・・・
近江商人の哲学がことさら輝いてみえます

街道の整備と商人の活躍で、若狭の物資が大市場である京に運搬されていきます
なぜ、山中である小浜街道ができたのでしょうか
疑問に思い考えてみました
今でこそ、運搬装置として車が活躍していますが
律令制のころはもちろんのこと、中世や近世に至っても人馬に頼る他ありません

西近江路や若狭街道は湖畔部や山間部で、開発は容易です
一説には、最初に考えられたのは「山越え」とか
速きを求めるのは人の常
「距離が短い・・・・時間がかからない」と考えるのは有りうることだと思います
そこで、小浜街道の設置でしょうか

でも、現地に立ってみると大変なことに気づかされます
それは高度差です
    国土地理院の電子国土地形図から拾ってみました
    小浜・・・・・・・・・標高:0m
    下根来・・・・・・・標高:75m
    根来坂峠・・・・・標高:826m・・・・峠山行記録:リンク有
    朽木桑原・・・・・標高:406m・・・・三国岳山行記録:リンク有
    久多・・・・・・・・・標高:373m
    ネグロ坂峠・・・・標高:868m・・・・峠山行記録:リンク有
    大見町・・・・・・・標高:610m
    滝谷山・・・・・・・標高:834m
    花脊峠・・・・・・・標高:759m
    鞍馬・・・・・・・・・標高:239m
    京都御所・・・・・標高:46m
         実に、単純計算として総標高差:3000m以上のアップダウンです

登山をされている方なら実感できると思いますが
   延長:75km、標高差:3000m以上、210P以上、これをどう読み取るか・・・・
編集子の計算ですと、歩行時間21時間、休憩を含み所要24時間はかかります
実際に歩いた人の記録によると、日夜をかけて17時間という数字があがっていました

これでは大変
そこで若狭街道や西近江路へ回りましょう・・・・、標高差はせいぜい500m程度
秀吉さんにいたっては、琵琶湖を走ることまで考えました

往時を偲び、歩いた気持ちで「鯖街道」の全体像:地図を以下にまとめてみました
時間の無駄消費だとお笑いください・・・・