岡倉天心(おかくらてんしん)は、著書『茶の本:道教と禅』のなかで
【 「空」のなかでは、動くことが可能であり
  自分を「空」の状態にして
  他人が自由に入れるようにできる者は
  あらゆる状況を制覇することができるでしょう
  「全体」は常に「部分」を支配できるのです・・・・ 】
という、くだりがあります

以前、目にとまった書籍の中に、上記の気になる言葉がありました
浅学菲才な編集子には
難解で、何をいわれているのか理解できないのですが
編集子風に解釈をしてみました(無駄と知りつつも・・・・)

たとえば、住宅という建築物(建物)があるとします
建物は、柱と梁などで骨組みを造り、屋根をかけ、壁で周りを囲います
そこには、部屋(室)という「空間」が出現し、行為行動が行えるようになります

いいかえれば
壁や屋根があるから建物なのではなく
行為行動ができる空間のあるもののひとつを、建物と表現する、ことと同じです
岡倉天心は、これを住める空間と表現、「虚」と「実」ということで説明しています
建物でなくてもいいわけで、天心の言う「動くことが可能な所:空間」と解釈します

その空間をどのように使うかは、所有者(使用者)の職業や趣味などによって
       色彩豊になったり、地味になったり
       物が多くて座るところがなくなったり
       広すぎて、何処に座ったらいいのか、ためらうこともあります

私達の意志で、その空間はいかようにも仕立てあがります
その仕立て方になじめない方は、その空間を利用したくはありません
反面、馴染む方が多いと、多くの方が集まってきます
そして、その中において、あらゆる行為が行われます
しかし、制約も課せられます

すなわち、床が畳敷きですと、座るという所作が発生します
      壁に防音効果がないと、大騒ぎすることがはばかられます
      部屋が小さかったり天井が低いと、運動などの行為が制限されます
      などなど・・・・

空間(全体)は、利用するものの行為行動(部分)を支配することになります
行為行動を行える空間が身近に無ければ
それに必要な空間を探す必要ができてくることになります
つまり、その空間を支配するものは
あらゆる状況を掌握(制覇)することができることになります
しかし、それを悪用しようとする者もでてきます(これについては別の機会に)・・・・

天心は続けています「物事の関係において大小の区別はまったく無く、つまり
             一個の原子も広大な宇宙と同様の可能性を持っている・・・・」

ということは、これは建物に限ったことでなく
お茶碗や水がめの中でも、同じことが言えると考えられます
それは、一つの宇宙とも表現ができ、さすれば住まいも「地上の小宇宙」・・・・
なるほど・・・・
いやはや、禅問答みたいな展開になってきました
※作成に当たっては角川書店:茶の文化史、岩波書店:広辞苑、小学館:探訪日本の庭
  茶と美舎:歳時記、京都国立博物館:日本人と茶、淡交社:茶の本、などから引用いたしました
回遊式庭園
池の周囲に園路を設け
亭・橋・燈籠はどを配し
遠路を巡りながら景色を
観賞できるように作った庭園
           (広辞苑)
京都御所 御内庭に付随する待合と茶庭
撮影日:2006.04.09、(晴)
所在地:京都市上京区
三重露地の外露地にあたります
707版:平成19年07月03日 火曜日
地上の小宇宙
茶庭
茶室に付属する庭
蹲踞(つくばい)・燈籠・待合
腰掛・飛石などを配する
露地(ろじ)ともいう

露地
草庵式の茶室の庭園
最も一般的なのが二重露地
外露地・内露地がつくられ
中門によって区切られています
山行に見る 庭・庭園
一緒にいってみたいなこんなとこ
みたいな
山葵の山行まっぷ
印の県に「目的地」があります
県名
福井
京都
滋賀
神社仏閣などを巡っていますと
庭園拝観受付の看板をみかけます
池泉庭園・枯山水・茶庭など
庭は、古代より
池を掘ったり、石を組んだりしています
これは、自然の石を磐座(いわくら)
などと呼んで、信仰の対象とし、また
池の中に島を築いて神を祀りました
本来は、観賞用ではなく
神聖な場所だったそうです

仏教伝来時にもさほど影響を受けず
古代の思想が受け継がれ
平安期になって観賞用になりました

私達が山でご来光に手をあわせたり
登頂時に万歳をするように
自然に対する畏敬の念は
古代より連綿と引き継がれています
その意味から庭を捉えると
宇宙が含有されていると考えるのも
間違いではないのかもしれません
山呼-リスト
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
今日のことば
山呼らいぶらり〜
わかったようでわかりませんが・・・・、さらに続けてみましょう
家には部屋(室)という空間ができましたが、一方の外部はどうなのでしょう
敷地の中に、家を全面(いっぱい)に建てることは、法律で禁じられています
これは何故なんでしょう

都市では、敷地の価格が高く、広大な敷地を保有することは経済的に負担が大きく
庶民には、小さな敷地しか確保できません、しかし部屋数の多い大きな家が欲しい・・・・
希望通りの家を建ててしまった結果、最大限の敷地利用になるのですが、空地はなし
このように、自分の敷地だからなにをしても好いという考えから
みんなが同じように、敷地一杯に家を建ててしまったらどうなるでしょう
広大な土地に建物が全面を覆い、平面的空間がなくなります、防災上も問題があります

敷地内では、行為所作をする為の建物という空間と、建物を囲む空間をつくりました
自分の敷地以外では、空間を設ける必要はないのでしょうか
そんなことはありません、室内では、個々の単位毎の空間でしたが
外部も、室内と同じように単位の集合としての空間が必要なのではないでしょうか
それが、公園や公共空地として設けられています、都市計画という手段にて・・・・

そして、さらに重要と思われるものに「庭」があります
私的空間(室内)から公共空間に移動する際に生ずる空間です
室内は寝巻き姿でも問題ありません
公共空間は、公序良俗に反しない姿が求められます
また、屋内のくつろいだ雰囲気から、公共空間の形式ばった姿勢・行動が求められます

これらは、緩から急へ、静から動へ移行する際に瞬間移動するようなもので
間を補完する空間、ゆとりのある空間がないと容易に転換などできるものではありません
緩衝帯というべき空間が必要になってきます
住宅などで申しますと、それが「庭」にあたります

地価の高い所では、容易に庭をつくる事にためらいがでます
しかし、それは自分自身のためでもあり、その空間が連続してつながってゆくとなれば
とても住みよい住宅街(コミュニティー:地域社会・共同体など)となるのではないでしょうか
(敷地一杯に家を建て、車庫が作れず路上駐車するモラルのない人がいるのは残念です)
法律で建物を建てられる面積(建ぺい率・容積率)が制限されているのも
そんな意図が含まれているのではないでしょうか


庭があることによって、精神的にも肉体的にもゆとりが生まれ
心や身体の準備がそこで補完され
生活の減り張り(メリハリ)や行動の移行が、柔軟かつ円滑に行われやすくなります

家(私)と施設(社会)とを結ぶ線は、緊張感への通路であり
自己表現をするための助走路です
この線(庭)は、外界との接触を絶ち、家という空間で蓄えたエネルギーを
公共の場所(社会)での自己表現を存分に行えるよう
新鮮な感覚・柔軟な発想を発揮できるよう、喚起するところです


そのために、木や花を植え、築山や池を造ったり、などといろんな手法が講じられます

その究極が、茶室の露地ではないかと思います
神聖さと清浄さに包まれた庭を進み、特別な空間である茶室にいざなわれます
お茶の先生にお話を伺うと
清浄とは奇麗に掃き清めることだけではなく、美しくかつ自然であること、と・・・・

露地に落ち葉があります、それはゴミではなく、落ち葉という風情・自然ということでしょう
無粋な編集子には、理解しがたいのですが、次のように考えてみると理解できます
春:芽吹き→初夏:新緑→夏:木陰→秋:紅葉→晩秋:落ち葉→冬:腐葉土→栄養→治水


一例とした落ち葉がゴミという発想は、現代社会(経済至上主義)の弊害かもしれません
古来から、自然の摂理によって培われてきた営みが、この100年で大きく変化してきました
リサイクル・・・・、地上の小宇宙の維持に、重要な課題を私達に突きつけています・・・・
枯山水庭園
坪庭
池泉回遊式庭園
某氏邸 茶室露地
某施設 茶室露地
昨今の庶民的レベルでは、茶室の露地なんてなかなかできないものです。茶室の設置事態が困難です。そんな中でも
工夫次第で雰囲気がつくれるものです
某氏邸も条件の範囲内での作庭です
借景庭園:京都東山を借景としています
建仁寺 庭園
撮影日:06.04.20、(晴)
所在地:京都市東山区

  本坊
  雲洞院
  久昌院
  両足院
荒神山神社 庭園
山行日:2007.01.21、(曇)
所在地:滋賀県彦根市
←豊臣秀吉が寄進した
  といわれる灯篭
弥高山
 上平寺京極家庭園跡
撮影日:2006.05.31、(晴)
所在地:滋賀県米原市

庭園は京極高清が居館を整備したときに作りました。2つの池があり中の島があります。庭園の中央には虎石と呼ばれる巨石が立ち、山側の斜面にも多くの石が配置されています。鶴・亀や滝などを表現した石組みだったと考えられています。戦国時代の武家庭園として全国的に貴重な遺構です。
           (表示看板)
一乗城山
 朝倉遺跡諏訪館庭園跡
撮影日:2007.06.27、(曇)
所在地:福井県福井市一乗谷

諏訪館は朝倉義景の夫人小少将の屋敷跡と伝えられています。庭園は一乗谷で最も規模の大きい回遊式林泉庭園です。水分石や礼拝石、橋挟石なども型通り据えられ、当時の庭園様式をよく伝えています。構成は大変形式的で、専門の庭師の作庭によるものと推察されます。(表示看板)
枯山水
水を用いず、ただ地形によって
山水を表す庭
石組みを主とし水を表すのに
砂礫を用いることがある

            (広辞苑)
借景
庭園外の遠山や樹木を
その庭のものであるかのように
利用して作ってある庭
             (広辞苑)
坪庭
屋敷内の庭園・中庭
庭が、小さな宇宙と同様の
可能性を持っている
ということで山行で出会った庭を
アルバムから拾ってみました
参考に
ひとり言「 喫茶去 」
      をご覧くださいませ