大パティー(2桁以上の人数)を組んでの観光登山や車道を歩くハイカー達など
集団行動をする人たちを見るたび
その責任者の、責任の重さを考えさせられます

しかし、山だけが危ないのでしょうか
町の中だって
交通事故や事件など(安全神話が崩れてきました)に遭遇することもあります
可能性が高い低いは
行う種目や行為の内容などによって当然ながらあるわけですが
いずれが安心で、いずこが危険などと、予測はできますが
誰も断定はできないのです

だからといって、やりたいこともできずに、取り越し苦労ばかりして
ストレスをためて、病気になるのが関の山ではないでしょうか
石橋をたたく(慎重になる)のも必要です
(石橋を叩いても渡らなかった編集子も、近頃は片足が橋に掛かるようになりました)
しかし、過剰反応は周りや自分自身をも萎縮させてしまうことにもなりかねません


そのためには、先にも記述の通り、周りの人(家族や身内など)に対し
説得できるものを持つことが必要になってまいります
まずは気力です
次に体力、そして素養、さらに資力、おまけによき理解者があれば・・・・

当然のことながら、危険であるがために、充分な準備と計画を整えます
経験をつむことによって、危険を予知・察知する可能性も高まり
回避能力も向上します


それでいても、事故や事件には巻き込まれる(避けられない)ことがあります
そのときは、あせらずあわてず
因果と思って、成り行きに身を任すのが懸命の策・・・・

誰しも、無事であることを願います
しかし、何もしないで無事なんてありえません
日々の糧を得る為にも勤労しなければなりません

その上で、好きなことをするために努力をする
それが活力の源となり
心身ともに健康(貴人)でいられるのではないでしょうか・・・・


物質的には、満ち足りた社会でありますが
対人関係や社会環境に順応できず
うつ状態などの心の病に侵されやすいなど
だれもが患者候補生で、貴人とは程遠い存在です

しかし、気の向くままに「好きなこと・やりたいことをする」
というのではありません
公序良俗に反したり、無責任な行動は厳に慎み
すべて自己責任の下に行われるべきだと思います

健康のためにとか
世の為人の為(悲しいかなこの世は欺瞞に満ちたことばかり・・・・)などと
計りごと
(理由づけや言訳をせず
己が理性のまま、欲するがままに、「やりたいこと」をやれば良いと思います
それが「無事」であり、「貴人」につながると信じる途(みち)ならば・・・・
【 無事是貴人(ぶじこれきじん) 】
  無事である人こそが貴人であるの意
  臨済禅師は「無事是れ貴人
  但だ造作すること莫
(なか)
  ただ是れ平等なり」と説かれました
  すなわち、無事とは無造作であること、平常の意であるとする
  迷いはおろか悟りにも留まらず、ありのままであること
  本来の自己に立ちかえった安らぎ
  人は本来的に仏であり、求めるべき仏も道もない
  どんな道でも
  何の計らいもない自然法爾※
(じねんほうに)に徹する人を最高の人とする
  ( ※自然法爾:人為を加えず、一切の存在はおのずから心理にかなっていること
            また、人為を捨てて仏に任せきること・・・・広辞苑 )
                                    ( 淡交社 禅語大辞典 )

私たちは、日常、同じことの繰り返しに
「何か変わったことがないか」とか
「面白いことはないか」などと、変化や刺激を求めます
何もしなければ、問題なんて何も起こらないのですが
平穏無事であると、ついつい動きたくなるものです
そして問題を複雑にし、困り果てます

そんな中で、私たちはより良く生きるために
生活に潤いを持たせ
甲斐ある人生を全うしようといたします
そのための手段の一つとして
旅行や観劇、スポーツやショッピング、カルチャー教室などなど
充実した日々を送ろうと務めます


その中の一つに、山行がありますが
「安全な山行はない」といっても過言ではありません
危ないところだから、「行くな、行かないで、行かせない」などと
誰しも口に出して言います、関係者にとってはもっともなことです

「無事」でありたいと願うのは、本人よりもむしろ家族や身内(関係者)です
本人の身の上をもちろん心配してのことですが
(本人は好きなことをして「無事」でなくなっても本望でしょうが・・・・)
その心配が当の本人のためでなく
関係者に大きな影響を及ぼすからという本音が、心の内には潜んでいます


まずは悲しみとして襲ってくるでしょう
そして経済的災いとして襲ってくるかもしれません
身内紛争の原因になるかもしれません
だから、関係者はスクを最小限にするための行為に動きます
自己責任だと本人や家族は割り切っていても
原因発生関係者に責任を求めてくることは、ないとはいえません
それぞれに自己防衛の網が張られます
山行に見る 山 の 鳴 動
葱平(ねぶかっぴら)から、大雪渓を振り返ります
はるか彼方には、戸隠連山や妙高山が望め
大雪渓を登り終えた安堵で、眺望を楽しむところです
でも、危険は隣り合わせ・・・・
山ある記
白馬岳-2005 も
参考にどうぞご覧ください
杓子岳の斜面
このあたりの斜面は普段でも
土砂崩落がおこっています
大雪渓も最上部に近づき
雪渓にもクレパスが入り
最も注意を要するところです
 写真右上の
尖っている所が問題の杓子岳
崩落箇所の詳細な位置は
わかりませんが、どこでも
その可能性のあるところです

← 杓子岳

今日のことば
無事是貴人
516版:平成17年8月14日 日曜日
「無事」という言葉は
山行という行為では常に付きまといます
遭難事故の情報を耳にしましたので
今回は、趣向を変えてお届けします
2005.08.11(木)、07:30頃
白馬岳 大雪渓最上部葱平付近で、近くにある杓子岳の斜面から、約幅50mx長さ200mにわたる大規模な土砂崩落があり、犠牲者の出る遭難事故が発生しました。前日から雨が降っていて、崩落の危険性が高まっていたようです。当日は、200人程の登山届が出されていたなかで
(この時期としては少ない)、山の鳴動に巻き込まれるのは、不運としか言いようがありません。犠牲者の方の冥福をお祈りします。
崩落規模は幅約50m、長さ約300mに及び、崩落した土砂の推定量は約50,000m
3といわれる。05.08.18、発表
日時が違っていれば、自分であったかもしれません。2005.07.20に山行したときの
写真を掲載し、その位置関係を
示して悪天候時の中止の
決断など、他山の石としたいと
思います。
このhpを作成できるのも
無事」であるが故のこと
日々、ただ感謝あるのみ
みたいな
土砂崩落のあったところです
左の山尻には、小石が堆積し
崩落ているのがわかります
ルートの一部は雪渓が解けて
地山がでています
写真では、3人の登山者が歩いています。まさに、土砂が
落ちてくるところを歩いています
  ↑
崩落現場
葱平
 ↓
山呼-リスト
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
山呼らいぶらり〜