県名
印の県に「目的地」があります
山葵の山行まっぷ
一緒にいってみたいなこんなとこ
山行に見る 八 橋
滋賀
京都
みたいな
423版:平成16年7月8日 木曜日
山呼-リスト
※ご参考までに
このコラムは
管理人のひとり言です
黒や灰色の文字は
編集子のオリジナル
カラー文字は編集子所蔵
資料からの引用です
川には所々に橋がかかっています
しかし、道があるところにしか
掛けられていません
道が整備されていれば、迷うことも
少ないし、石につまずき
転ぶことも少ないでしょう
しかし、人生において
踏み跡のしっかりした
ミチばかりではありません、時として
橋のない川だってあるかもしれません
橋のあるところが遠いこともあります
そんなときは、慌てず騒がず
どうしたら川を渡れるか考えましょう
ミチは必ず見つかります
一人よりも二人、二人よりも三人で
今回は、橋渡しにちなんで
山行で見かけた「八橋」を
アルバムから取り上げてみました
橋 渡 し
山呼らいぶらり〜
【 橋渡し (はしわたし) 】
  ・橋をわたすこと、橋をかけること
  ・仲立ちをすること。また、その人。仲介。「二人の仲の−をする」   ( 広辞苑 )

社会生活を営む上で、人は他人と無関係ではいられない場合があります
赤の他人(全然縁のない人)であっても、ある事由から、知り合いになる場合
自分から進んで、知り合いになろうとする場合
他人に紹介を得て知り合いになる場合
などなど、人が他人に面識を得る方法は様々です


一方、仲違いを生じて別れてしまったが、元に復したい場合
現在進行形の仲違いをしている人を仲介(仲裁)する場合
などの橋渡し役(仲介人)は、当事者に影響力がある人が効果的です
面識のない人同士を引き合わせる場合は
影響力に加え、親密さがあればなお効果が発揮されます

自分で起こした問題を、自分で解決できない場合には
仲介者を介在させて処理することが、良い結果につながる場合があります
自分の意中の人に、自分の心を告げられない場合には、キューピット役が活躍します

その人のために何かをしてあげたい、と心から思う場合
頼まれたが、迷惑だと思う場合
形だけと頼まれ、義理立てのため断れない場合、などなど
その時の状況により、仲介人(橋渡し役)になる人の心のうちも、様々に変わります

本当に困っている場合や、利用してやろう、という下心がある場合
困ってはいないが、仲介してもらうことにより、円滑になる場合、など
仲介をお願いする理由も種々雑多です

そして、仲介人には、誰でもがなれそうで、なかなかなれるものでもありませんし
責任が伴う場合などは、なりたくない場合だってあると思います
それなりの社会的信用や権威も必要でしょうし、それなりの自立性も欠かせません
その尺度は、それぞれのケースでまちまちでしょうが
当事者はもとより、第三者が評価する場合は、それが決め手となる場合が多いと思います

孤独を好むのも理解できます、しかし人は他人とは無関係でいられません
仙人のような生活が可能ならば、それもいいでしょうが
コミュニティー(社会集団)の一員である限り
好むと好まざるとにかかわらず、何らかの問題やかかわりが生じます
その時に相談できる人があなたの傍に居られますか・・・・  その時、あなたはどうしますか・・・・

希薄な人間関係が、問題を引き起こし、そして事件が多発している昨今
橋になってくれる人が側にいてくれるならば・・・・
一緒に橋を渡ってくれる人が傍にいるならば・・・・
                 天の川を見上げながら、そんなことを思いめぐらす七夕の夜デシタ
蛇谷ヶ峰 野外活動施設 八橋
山行日:2002.06.23、(曇)
所在地:滋賀県朽木村
蛇谷ヶ峰の登山口に野外活動施設が設けられてありその中の池に八橋が設置されている。写真を良く見ると目の前の枝に、モリアオガエルの卵が見えます。
この近くには入浴施設もあり、山行の汗も流せる。
河辺いきものの森 八橋
山行日:2004.06.24、(曇・晴)
所在地:滋賀県八日市市
愛知川 八千代橋の西岸に設けられた「河辺いきものの森」に設けられています。森や水辺の様々な様子を観察することができ、入場無料というところがうれしい
しかし、自治体が復元しなければならないのが淋しくもあります
JR山陰線 嵯峨嵐山駅〜大覚寺・直指庵をへて高雄に至る途中にあり、このルートは東海自然歩道になっています。
すぐ側には嵐山高雄パークウェーが通っていて、車での観光客も多い。この年の紅葉は、期待はずれでした
※2006.11.29 に再訪したのですが
 この八橋はなくなっていました 「山ある記」はこちらから
高雄 菖蒲池 八橋
山行日:2003.11.13、(曇一時雨)
所在地:京都市右京区
【 八橋 (やつはし) 】
  湿地などに幅の狭い橋板を数枚、折れ折れに継ぎ渡した橋
  ( 広辞苑 )
今日のことば