門紀行:金剛峯寺表門
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門正面を額縁にして
右背面
天井見あげ
昔は、天皇・皇族、高野山の重職だけが通れた門で、その他の人はわきの通用門しか通ってはいけなかったのだそうです。今でも、一般のお坊さんは通用門を通ってるのだとか。
それだけ由緒正しい門なのでしょう・・・・
他の寺院でも、参道の中央の敷石を踏んではいけない、などの約束事があるようです。
左背面
門左側
正面
門背面を額縁にして
標   題 金剛峯寺表門
山 行 日 2012年09.月12日、(晴)
Mapion 和歌山県高野町
間 口 一間一戸
特 徴 四脚門
リ ン ク 山悠遊:高野山金剛峯寺
概   要 高野山壇上伽藍の東北方にある。1869年(明治2年)、いずれも豊臣秀吉ゆかりの寺院である青巖寺と興山寺を合併し、金剛峯寺と改称しました。青巖寺(剃髪寺)は秀吉が亡母の菩提のために建立したもので、豊臣秀次が自刃した場所としても知られています。金剛峯寺の主殿は江戸末期文久3年(1863年)に再建された、東西 54 m 南北 63 m の書院造建築です。「金剛峯寺」の寺号は空海が名付けたもので、元来は高野山全体を指す名称でありましたが、明治期以降は、高野山真言宗の管長が住むこの総本山寺院のことを「金剛峯寺」と称しています。
この門は、表門で
金剛峯寺の建物の中で最も古く、文禄2年(1593)に再建。
門右側