門紀行:水戸-偕楽園:露地門
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右側面破風
左側面
右側面
左背面けらば
右正面、奥に見える茅葺屋根は待合
背面扉意匠
背面天井見上げ
標   題 水戸-偕楽園:露地門
山 行 日 2014年(平成26年)09月13日、(晴)
Mapion 茨城県水戸市常磐町
間 口 一間一戸
特 徴 露地門
リ ン ク 山悠遊:水戸-偕楽園
概   要 梅の公園として有名な偕楽園は、水戸藩第九代藩主徳川斉昭公が、天保13年(1842)、衆と偕(とも)に楽しむという趣旨で造られたもので、兼六園、後楽園とともに、日本三名園として知られています。国の史跡及び名勝(常磐公園)に指定。入園料は無料(好文亭は除く)。偕楽園は、庭園を楽しむという目的の他、藩校弘道館の付属施設の性格も持ち、弘道館が文武修行の場であるのに対して、修行の余暇の休養の場であるとも考えられ、文教政策の一環をなすものでした。当初の広さは1.47kuほどでしたが、平成5年に約3kuの大規模都市公園として整備されました。
好文亭は、水戸藩の第9代藩主・徳川斉昭公により,偕楽園内に詩歌の会や茶会などを催すために建てられました。1945年の水戸空襲により焼失したが、1955年から3年かけて復元されました。
七曲がり坂を登ったところにあり、昔はこの露地門をくぐり待合に入ったとされています。日常世界と茶の湯の庭との界に置かれる露地門は、何気ない風情と穏やかな佇まいに包まれます。現在は解放されていない門です。
この門は、切妻造り茅葺。両袖竹塀付き。