撮影場所:甲良東小学校近く、正楽寺山から北西に約2.1km
正楽寺山0702 (しょうらくじやま)、正楽寺山1112
しょうらくじじょう
勝楽寺城
別 名 --
地理院
地図 
緯度:35.19101
経度:136.290517
Mapion 滋賀県甲良町
勝楽寺
標  高 308m/140m=168m
遺構等 土塁、石垣、竪堀
現 状 山林+山頂
築城者 高筑豊後守
築城年 応安元年(1368年)
形 式 山城
規 模 東西100m
南北450m
佐々木道誉の館と領地を守護するための砦として築城
近江京極氏の南端の城としての位置づけ
高取山
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押立山
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秦川山
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勝楽寺城跡
この城跡は、高築豊後守が佐々木道誉の館と領地を守護するための砦として、南北朝時代の
正平23年(南朝)、貞治7年(北朝)、応安元年(北朝)(1368年に築城されました。
この城は、ところどころに竪堀があり、全国的に珍しい「うね状竪堀山城」として、敵が城へ登ることを容易に許しませんでした。峰づたいの尾根は、削平して通路を広げ、郭も設けられていました。
海抜317m
(?、308m)の城跡には、残念ながら当時の礎石と土塁および石垣が残るのみです。頂上から遥か湖東平野を眺むと、多賀氏・河瀬氏の支城を前衛にして鶴翼の陣をしき、領地を固め堅城に依って天下の政治につとめた、当時の佐々木道誉の姿が浮かんできます。
正楽寺郷づくり委員会
        (現地看板)
礎石
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見張り台
この平らな地「見張り台」は、佐々木六角氏の居城である観音寺と佐々木京極家の境界である愛知川以北(北近江の領地)が一望でき、さらに、五個荘・愛知川・四十九院・高宮等の主要幹線での動き、また支城として配した河瀬氏・多賀氏の動向が把握できる最適の位置であり、当時は「見張り台」として重要な地であった。
正楽寺郷づくり委員会
         (現地看板)
繖 山
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伊庭山
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曲輪跡、礎石が残る
見張り台の平削地
佐々木六角氏の本拠地である観音寺城址のある繖山が望めます
南近江(近江六角氏)と北近江(近江京極氏)の境目が愛知川であり
勝楽寺城はその北近江の南端の境目の城としての位置づけがありました
見張り台からの西南側展望
石垣
石垣
曲輪跡、正楽寺山山頂
うね状尾根が防御に一役
本堂山
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正楽寺山
勝楽寺城址
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礎石
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