たけくらべじょう
長比城
別 名 野瀬山城
地理院
地図 
緯度:35.352241
経度:136.412852
Mapion 滋賀県山東町
長久寺
標  高 391m/180m=231m
遺構等 土塁、曲輪、竪堀、虎口
現 状 山林+山頂
築城者 浅井長政
築城年 元亀元年
(1570年)
形 式 山城
規 模 東西150m
南北200m
近江と美濃の境目の城として重要な位置にあります。東の曲輪と西の曲輪からなり、両曲輪は30mほど離れた「別城一郭」となっている。東側の曲輪のほうが高い位置にあり、面積も3倍程度あるので、主郭であると思われる。
野瀬山 (のせやま)
山聲-TOP
撮影場所:山東町柏原地区、野瀬山から南西に約3.1km

土塁の高さは3mに達するほど大変堅固であり、一部土塁の内側が凹地状と成っていることなど、浅井系の縄張りの特徴だそうです。西の郭は城塞の跡で、強風の場合にその風を避けるのに好都合な場所から、のろし台もかねていたと考えられています。

東側の遺構として岐阜県にもまたがっています。
伊吹山東尾根
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ドライブウェイ

滋賀県の一番東にある境目の城です。ここは山東町大字柏原と長久寺の境の野瀬山の山頂にあり、昔、付近一帯を長比と呼んでいました。この地は近江と美濃の国境の防禦ラインで、中仙道に沿い、通行の監視等重要な拠点でありました。


元亀元年4月、織田信長が越前朝倉を攻めた際に、浅井長政は信長から離反し、この結果、近江湖北の浅井は、美濃岐阜に根拠を置く織田方と国境を接して敵対することになりました。そこで、浅井方によって、近江と美濃の境目のこの地に、防衛拠点として長比(たけくらべ)城が築かれることになりました。越前朝倉の援助により、大幅に修築されたものであり、越前衆の築城技術が垣間見られるといいます。

「信長公記巻3」によれば、浅井方が越前衆の後援を得て長比と苅安(上平寺城)に要害を構えたこと、織田方の調略によって、堀秀村、樋口直房が内応し、城兵の退散により無血で落城したこと、信長が長比城に二日間滞在したこと、が記載されています。落城の9日後に、織田・徳川連合軍と、朝倉・浅井連合軍が激突した、姉川の合戦へとつながってゆきます。
野瀬山
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林道終点
ここから山道です
西曲輪の土塁と曲輪跡
ドラム缶は
のろし駅伝につかわれたもの

写真の奥のほうは東曲輪につながる県境東尾根です
主曲輪のある山頂三角点
山頂からの北側展望
山頂からの南側俯瞰
旧中仙道柏原宿です
旧中仙道、登山口
舗装道路の先約0.5kmに駐車スペースがあります