柳ヶ瀬山(別名:中尾山) 
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(やながせやま、なかおやま)
搦手郭外周空堀
B主郭(本丸)−北から南東を見る
県境尾根
 620峰
  ↓
   柳ヶ瀬山
(別名:中尾山)
 手前峰の奥にあり
     ↓
←行市山
 (行市山砦)
げんばおじょう
玄蕃尾城
別 名 内中尾山城   遺構等 土塁、空堀、土橋
地  域 25nn:中河内/南西E   現 状 山林+山頂
Mapion 滋賀県余呉町椿坂/敦賀市刀根   築城者 柴田勝家
標  高 460m/220m=240m   築城年 天正11年(1583年)
訪城日 2008年09月17日(晴)、他   形 式 山城
山悠々 柳ヶ瀬山080917
柳ヶ瀬山・行市山161015
  規 模 東西200mx南北400m
概要 賤ヶ岳の合戦で、柴田軍が陣を築いたと伝えられる。城の名前は、柴田軍の猛将:佐久間玄蕃盛政に由来するとも伝えられています。平成11年、国指定史跡
滋賀県と福井県の県境にある、内中尾山の山頂に築かれた玄蕃尾城は、天正11年(1583)に柴田勝家と羽柴秀吉が、織田信長亡き後の織田軍団の指導権を争って戦った賤ヶ岳の戦いの際に、柴田勝家が本陣を構えた所です。遺構は、ほぼ完全な形で残り、滋賀県の数ある城郭の遺構の中でも屈指のものだと思われます。曲輪は全部で8つあり、山頂に主曲輪を構え、各曲輪をなだらかな斜面に配しています。曲輪周囲には空堀を巡らし、曲輪と曲輪の間は土橋で連絡されています。この城郭から、南にある行市山砦の間(約3km)の尾根には、当時軍路として相当広い幅の道が付けられていたものと推測できます
柳ヶ瀬地区からの柳ヶ瀬山山容
搦手郭:北側兵站基地
主郭から張出郭への土橋
主郭櫓台から東側から西側を見る
主郭櫓台から南側を見る
主郭西側から東側を見る
主郭櫓台
主郭(本丸)
馬出:主郭の虎口
攻撃用大手郭
土塁
大手虎口郭を主郭側から見返る
大手虎口郭
大手虎口から主郭方面への空堀
大手虎口
@虎口郭(曲輪兵站基地)−南から北西を見る
A虎口郭(曲輪兵站基地)−東から北西を見る
土塁、空堀、土橋などがはっきりとわかります
城郭内は下草が刈り取られ、探索がしやすくなっています
城郭は広範囲にわたるために、その全貌を一目で見ることが
できませんが、実際に目の当たりにすれば感嘆されるとも・・・・

@
←A

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B
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I中部虎口郭−虎口郭中部より腰郭への虎口
J中部虎口郭−虎口郭南側より北側を見る

F
主郭(本丸)から中部虎口曲輪方向を見る
空堀
○→印は撮影位置を示す
G南馬出郭−中虎口郭北側より馬出郭を見る
H中部虎口郭−虎口郭北から主郭方向を見る
土橋
撮影場所:余呉町柳ヶ瀬地区、久々坂峠から南東に約1.6km(障害物により山頂位置不確認)
この奥に
久々坂峠
   ↓
柳ヶ瀬山(中尾山)
三角点
 ↓
柳ヶ瀬山最高点
玄蕃尾城主郭
  ↓
クリックで拡大
C馬出郭−本丸から馬出郭を見る
土塁
D主郭(本丸)−本丸北東隅からの櫓台(天守)
本図は現地設置の表示板
G→

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本図は現地設置の表示板
O南部虎口郭(大手郭)−虎口郭の北側から南側を見る
G→

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J

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○→印は撮影位置を示す
P南虎口−南虎口から大手郭の西側土塁を見る
Q南虎口−南虎口から大手郭を見る

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Q→
←S

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←A

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B
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R郭最南部−南側より南虎口を見る
S南部虎口郭南側より城址南側を見る
2016.10.15 再訪
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E南馬出郭−主郭南より馬出郭を見る
F主郭(本丸)−主郭南側より北側をみる

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K南部虎口郭−虎口郭北側より中虎口郭を見る
L南部虎口郭−虎口郭の北側より南側を見る

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Q→
←S

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M南部虎口郭−虎口郭北側より中虎口郭をみる
N南部虎口郭−南より北を見る