賤ヶ岳 (しずがたけ)
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賤ヶ岳砦
別 名   遺構等 土塁、竪堀、切削地
地  域 25nn:木之本/南東SW   現 状 山頂+展望公園
Mapion 滋賀県余呉町川並/木之本町大音/飯浦   築城者 羽柴秀吉
標  高 421m/133m=288m   築城年 天正11年(1583)
訪城日 2016年09月25日(曇/晴)   形 式 山砦
山悠々 大平良山   規 模 東西:200mx南北:50m
概要 築城年代は定かではありませんが、天正元年(1573年)に、浅井・朝倉軍が賎ヶ岳に布陣していた記録が残されています。賤ヶ岳の戦い当初は、羽柴秀吉方の砦として利用されました。 城将は、但馬国竹田城主桑山重晴、羽田長門守、浅野弥兵衛らが陣を構えていましたが、佐久間盛政の攻撃により大岩山砦とともに占領されてしまいました。この知らせを、大垣で聞いた秀吉軍は大返しを敢行し、賤ヶ岳の七本槍のエピソードで知られる激戦が行われ柴田軍を撃破、天下統一を確実なものとしました。賤ヶ岳砦は、琵琶湖と余呉湖の間に聳える賎ヶ岳山頂に築かれています。 現在は展望公園として整備され、リフトもあって観光スポットになっています。山頂には東西に三つの曲輪があり、東、北西、南西の尾根に堀切を設けて遮断しています。砦といっても、それほど明確な遺構は多くなく、大岩山、岩崎山などにも共通していることですが、あくまでも陣所といった程度のものです。これは、羽柴軍には防御力を伴った陣城を築くだけの時間的余裕がなかったのかもしれません。
佐久間盛政:説明板(現地)
山頂記念碑
小谷山方面展望、北国脇往還道方面
琵琶湖展望
行市山方面展望
公園化された山頂:主郭
堀切、土橋
飯浦切通しへの尾根道
縄張り図