神明山 (しんめいやま、余呉湖-北山三山)
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堀切上土塁
東側土塁、平削地
余呉駅からの山容
文室山南東山麓からの山容
神明山
 ↓
茂 山→
←堂木山
↓ 神明山
堂木山→
土塁
賤ヶ岳の合戦時の羽柴軍の砦です
神明山砦は、東西200mに及ぶ主郭があり、西の端にも小さな曲輪があります。数条の堀切があり、西の守りが強固となっています。主曲輪の中央部に一段高く櫓台が土塁に囲まれてあり、主曲輪の南北には帯曲輪があります。
主力の堂木山砦の後方を固める位置にあります
しんめいやまとりで
神明山砦
別 名 大杉山砦   遺構等 土塁、堀切、土橋
地  域 25nn:木之本/南東NW   現 状 山林+山頂
Mapion 滋賀県余呉町八戸/文室   築城者 羽柴秀吉
標  高 295m/130m=165m   築城年 天正11年(1583)
訪城日 2015年08月28日(晴)   形 式 山砦
山悠々 余呉湖-北山三座、   規 模 東西:200mx南北:50m
概要 余呉湖の北に位置する山並みの中央部にあり、東野山砦、堂木山砦と共に、羽柴秀吉方の第一防衛線として築かれた砦です。、蜂須賀彦右衛門尉正勝、木村子隼人重滋が陣していました。砦遺構が残っています。この砦址は、賤ヶ岳の合戦以前にも、浅井氏の砦があったようだといわれています。
大堀切
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羽柴軍は当初天神山砦に布陣していましたが、柴田軍が行市山を中心とした山麓に展開して砦を築いたため、標高も低く羽柴軍陣地から突出した位置にある天神山砦を放棄し、堂木山と神明山に砦を築き柴田軍と対峙しました
主曲輪高台、三角点
↓大杉山
大杉山
 ↓
砦縄張図(現地案内板)
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主曲輪土塁
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