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小川城山 (おがわしろやま)
主郭から南側、中右奥の土盛り部が三角点
多羅尾氏は文禄4年(1595)、豊臣秀吉に謀叛の疑いをかけられた関白・豊臣秀次の罪に連座して(多羅尾氏の娘が秀次の側室という関係からか)、領地を没収され、廃城という運命を辿ります。この時、旧領地多羅尾二百石は許され、多羅尾に住しました。 慶長5年(1600)、再び家康より食禄1500石を与えられ、天領の代官となり、屋敷(多羅尾代官屋敷)を設けて世襲し、一族から伊賀上野藩に仕える者もいて、幕末まで存続します。
現地案内板には、小川城は14世紀初め鶴見伊予守によって築城されたとあり、山麓にある『中の城、西の城』は支城として、三城一体としての機能があったと考えられます。戦国時代は多羅尾氏の勢力下にあり、『天正10年(1582)、本能寺の変』当時は、多羅尾光俊の居城でした。変事のおり、徳川家康が堺から伊賀越えで領国三河に逃げ帰る途中、信楽の小川城で一夜を明かしたと伝えられています(疲労度から中の城ではないかと考えます)。
城址入口
中の城
主郭
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北郭
 ↓
主郭北側から南側
土塁
土塁
虎口
平削地と土塁
土塁
土塁
中の城登山口からの西の城山容
西の城
主郭から北の平削地俯瞰
主郭土塁
主郭土塁
主郭東側の堀切
小川城西尾根にある堀切
小川城山望遠
平削地
中の城への通路
張出
北郭
主郭から北郭
主郭、奥に石垣が見える
虎口
主郭
石垣
主郭東側から見上げ
おがわじょう
小川城
別 名 小川鶴見城
地理院
地図
経度:34.843923
緯度:136.037393
  
Mapion 滋賀県信楽町
小川
標  高 470m/330m=140m
遺構等 土塁、石垣、礎石
現 状 山林+山頂公園整備
築城者 鶴見伊予守
築城年 嘉元3年(1305)?
形 式 山城
規 模 東西:50m
南北:100m
山頂部一帯を利用して築かれ
主郭部には3つの曲輪がある
西尾根山麓に中の城
道を挟み北西部に西の城
三城一体としての機能と推測
関白秀次事件に連座し廃城
主郭虎口
主郭東側の堀切:横側から
中の城山容
北郭から主郭北側
西の城登山口からの小川城山
張出
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