撮影場所:荒神山山麓、山崎山から北北東に約0.5km
やまざきやまじょう
山崎山城
別 名 --
地理院
地図 
緯度:35.225316
経度:136.204217
Mapion 滋賀県彦根市
清崎町/稲里町
標  高 140m/90m=50m
遺構等 石垣、土塁、竪堀
現 状 公園
築城者 山崎氏
築城年 室町時代
形 式 平山城
規 模 東西100m
南北50m 
佐々木六角氏の家臣山崎氏の居城、下街道(現在の朝鮮人街道)を見下ろす丘陵地にある
当時時は、下街道の監視のためだけの専守の城郭であったものと言われています
山崎山 (やまざきやま)
荒神山→
山崎山城址
  ↓
天正十年(1582年)に織田信長が山崎氏よりこの城にて接待を受けたとされています
山崎山は、中世の小規模な城址で、比高約50mの山崎山西側の山麓に、織田信長が整備した当時の下街道(しもかいどう)を真正面から見下ろすように立地しています。この城址は、彦根市南部地区の上水道の配水池設置計画に伴い、平成4年度から6年度にかけて発掘調査を行いました。その結果、遺構は、山頂部尾根を取り巻くように石垣を積み、西側尾根を竪堀で区切り、尾根線上には直線的に郭を連ねた連郭式であったことを確認しています。また、出土遺物の大半は素焼きの小皿で、戦国時代後期のものと考えられます。
   (彦根市教委-現地看板)
この時代の小規模な山城で石垣を有するものは、確認例が極めて少なく、貴重な遺構であると共に、彦根城が築かれる以前にこの地域が辿った歴史を知るうえで貴重な資料であります。山頂からは、現在も観音寺城址や安土城址、佐和山城址が遠望でき、なぜこの地に城が築かれたのかの理由を知ることができます。(彦根市教育委員会-現地看板)
山頂越しに荒神山が見られます
山頂の西側
竪堀
山頂部西側から東に伸びる尾根:連郭式の郭址
南側の石垣
東側の石垣
城郭縄張図(現地看板)
城址から南北に通る下街道(後の朝鮮人街道)の俯瞰
現在は、遊歩道や張り芝などで公園整備されています
石垣も土盛りされています
眼下には織田信長の時代に整備された下街道
町並みの向こうに中仙道があります
位置的に、琵琶湖にむかって「中」に対する「下」の道で
名づけられたものではないかと推測しています
下街道は、江戸時代には朝鮮通信史が通った道です、別名:巡礼街道
ちなみに
中仙道に沿って、名神高速道路、国道8号(一部中山道と重複)が通っています
東海道本線は中仙道と下街道の中間付近に位置しています
山聲-TOP