城山 (しろやま)
永原氏は佐々木氏を祖とし
もともとは愛知郡にいましたが、室町初期に永原へ移り、野洲郡に勢力を誇っていました。
永原氏は六角氏の家臣・馬淵氏の被官※で、文亀2年(1502)、守護代伊庭氏の反乱を機に馬淵氏から独立し、大永年間(1521-1528)頃からは近江守護六角氏と関係を持ち、勢力を伸ばしました。
※被官(ひかん):中世、上級武士に下属して家臣化した下級武士
   城 山
(小堤城山城址)
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撮影場所:希望が丘文化公園芝生広場、城山から南西に約0.9km
吉祥寺山
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東尾根の堀切、堀切を奥のほうに回りこむと遺構があります
古城山方向
(古城山城址)
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城 山
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近江の城山-TOP
山聲-TOP
こづつみしろやまじょう
小堤城山城
別 名   遺構等 土塁、空堀、石垣
地  域 25es:野洲/北東W   現 状 山林
Mapion 滋賀県野洲町小堤/大篠原   築城者 永原氏
標  高 286m/140m=146m   築城年 文明年間(1469-1486年)
訪城日 2010年01月20日(晴)   形 式 山城
山悠々 鏡山10.01.20-希望ヶ丘ルート   規 模 東西150mx南北100m
概要 野洲・栗太郡内最大の山城
永原氏は当初、馬淵氏の家臣として六角氏に従っていましたが、その後、直接に六角氏に従うようになったようです。さらに、織田氏の近江支配時代には野洲郡を領した佐久間信盛も在城
※今回の探訪は山頂部の縦走で城郭遺構の大部分が残存する北側部分は通りませんでしたからスケッチはありません
城山から古城山への登山道からの城山
城郭遺構のある標高部分の尾根道
左に回りこむと遺構があります
山頂部から北側下部を見下ろします、この下部に石垣が残存
永原氏は、平素は永原城(野洲町永原、現:祇王小学校付近)に居住していましたが、戦時の詰城として小堤城山城を築いたと考えられています。
また、築城前には東側に隣接する古城山城があり、城郭として一帯としての利用もあったのではないかと推測します。
城山山頂部
城山山頂部、主郭の石垣の遺構です