@
E
A
主郭Dの左右に@東虎口
          A西虎口がある
枡形Bは虎口@から侵入する敵を攻撃する施設
Cは土塁
Eは石垣が一部残っているところ
西虎口に石垣の一部が残っています
D
C
B
多喜山城址の縄張り図(現地看板より)
主郭のあった位置
現在は祠があり、「竜王神」がまつられています
奥の林の位置には、盛り上がった枡形があります
山頂からは西に中山道(東山道)、北に東海道を一望し
視界を遮るものは何もありません
正面の山は三上山です
まさしく街道を押さえる城であることがうかがいしれます。
撮影場所:栗東町六地蔵地区、日向山から西に約1.10km
日向山 (にっこうやま)
日向山/多喜山城址
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菩提寺山
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たきやまじょう
多喜山城
別 名 日向山城   遺構等 土塁、石垣、虎口
地  域 25es:野洲/南西C   現 状 山林+山頂
Mapion 滋賀県栗東町六地蔵   築城者 不明:佐久間盛政説
標  高 223m/120m=103m   築城年 元亀2年以前(1571年)
訪城日 2009年01月06日(晴・曇)   形 式 平山城
山悠々 日向山09.01.06   規 模 東西150mx南北50m
概要 安土城築城から先行して、一帯を支配する目的で築城
織田信長が一向一揆平定のため、家臣の佐久間信盛を入れたとされています
廃城時期は不明

多喜山城は、時代の転換を見つめた貴重な遺跡という位置づけです
多喜山城の虎口@は、出入り口が鍵の手に曲る「枡形虎口」の原形といわれており
それまでの六角氏の砦には見られない当時の最先端技術が用いられているそうです
後に、信長の安土城や豊臣秀吉の大坂城に受け継がれ、発展したことで
研究者の間ではよく知られているそうです