瓶割山 (かめわりやま)
大岩の切通し:北尾根西支尾根、標高:120m
▲三角点
石垣●
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石仏:東尾根、標高:220m
布施山
(玉緒山)
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雪野山
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長光寺城址
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岩倉山
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古井戸と石仏:東尾根、標高220m
竪堀:北尾根、標高:200m
出郭:北尾根、標高:160m
瓶割山
(長光寺城址)
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鶴翼山(八幡山)
(八幡山城址)
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岩倉山
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繖 山
(観音寺城址)
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清水山
(箕作城址)
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長光寺城のその後
永禄11年(1568)、織田信長の上洛戦で六角勢が籠城しましたが落城。元亀元年(1570)、
野洲河原の戦いで、織田信長は柴田勝家を長光寺城に置き六角義賢・義治父子への押さえとしました。六角父子が長光寺城を攻めた際、籠城した勝家は苦戦し、水瓶を割って討って出たことから「瓶割柴田」と呼ばれ、城も別名「瓶割城」となりました。
天正4年(1576)、安土城築城の頃、廃城
撮影場所:鶴翼山山頂、長光寺山から南東に約6.2km、撮影日:2015.02.04
雪野山山系安妃山展望所からの瓶割山展望
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ちょうこうじじょう
長光寺城
別 名 瓶割(かめわり)城   遺構等 郭跡
地  域 25en:八日市/南西W   現 状 山林+山頂/山腹
Mapion 滋賀県近江八幡市長福寺町/八日市市   築城者 佐々木四郎政尭
標  高 234m/110m=124m   築城年 鎌倉時代中期
訪城日 2015年02月21日(晴)   形 式 山城
山悠々 瓶割山06.02.25瓶割山08.03.02
瓶割山15.02.04/岩倉山
  規 模 山域全体
概要 城砦は応仁の乱当時、佐々木四郎政堯が居城、その後六角軍や柴田勝家がこの城に拠る
天正4年(1576)安土城築城の頃、廃城されたと伝えられています。柴田勝家の瓶割りのエピソードで知られています
2015.02.04 訪問
虎口に使われたかもしれない大岩、西支尾根、標高150m
三の郭:東尾根、標高:220m
地蔵群・三の郭標識:東尾根
石垣:二の郭南側、標高:220m
二の郭:山頂三角点、標高230m
石垣(城内最大規模):山頂(本丸)西側
土橋直下にある石仏
土橋:西尾根、標高:220m
一の郭:山頂、標高:230m
武者隠し:北尾根、標高:220m
米蔵・矢倉:北尾根、標高:220m
米蔵:北尾根、標高:190m
現地案内板の地図
※図中の表記は現地標識、●は標識外
竪堀
武者隠し
米蔵
矢倉
米蔵
三の郭
古井戸
地蔵群
応仁の乱(1467 - 1477年)で
西軍に属した観音寺城主:六角宗家重頼に対し、一族の佐々木(六角)四郎政堯は東軍に属し、長光寺城を居城としました。
八角平(一の郭の東側)
一の郭跡