尾根に立つTVアンテナ
山悠遊-滋賀湖東
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
かめわりやま ルート 日吉神社山麓(14:30)〜管理道路分岐(14:50)
〜尾根出合(14:55)〜瓶割山三角点(15:10)
〜管理道路分岐(15:40)〜日吉神社山麓(15:50)
瓶割山-日吉神社 シュミレーション
地  域 25e:八日市/南西W 概要 瓶割山(別名:長光寺山)は、湖東平野の田園地帯に盛り上がった里山です。西隣に双耳峰のような位置関係で、岩倉山(標高:約220m)が並びます。登山道は、@北側の工業団地近くにある神社近くから登り、岩倉山の鞍部に降りるルートと、A南側上平木町にある日吉神社から、水道配水タンクの管理用道路(通行禁止)を伝うルートがあります。紹介のルートは、Aの南側ルートです。山域には、長光寺城址の遺構があり、掘割跡や石垣・井戸などが散見でき、往時のよすがが偲ばれます。応仁年代(1467〜69)の頃、佐々木氏の築城と言われています。その後織田氏の支配となり、六角氏との戦で、守将の柴田勝家は籠城戦を取り、水瓶を割って士気を鼓舞いしたことから「瓶割柴田」の異名が付けられました。瓶割山の名前の由来は、これによるそうです。瓶割山南側中腹と岩倉山には、現在の水瓶である水道配水タンクがあります。
Mapion 滋賀県東近江市/八幡
標  高 234m/110m=124m
距  離 約3.5km、斜度:max21°
体力度 15P、☆
山行日 2006.02.25、(晴)
形  態 日帰り、2名
時  間 所要01:20/歩行01:05
アクセス 自家用車、01:00
備  考 駐車位置留意
岩倉山
  ↓
瓶割山山頂
  ↓
  ↑
上平木町登山口
給水タンク↓
八幡山
  ↓
津田山
  ↓
岡山
 ↓
比良山系
 (湖西)
   ↓
閑話
永禄11年(1568年)、佐々木六角氏の本拠地である観音寺城が、織田信長の攻撃で落ちると、この長光寺城は、武将の柴田勝家が湖東地方のおさえとして在城しました。元亀元年(1570年)、六角氏に攻められた勝家は、苦戦して籠城策をとりました。攻めあぐねた六角軍は、城の水源を絶ちました。城中の勝家は、水が乏しかったにもかかわらず、敵に水がないことを知られまいとして、無理に水瓶を割ってみせ、味方の士気を鼓舞して反撃に転じ、六角軍を打ち破ったと言われています。尚、長光寺城は、天正4年の安土城築城の頃に廃城となりました。
               (人文社-郷土資料辞典)
一の郭跡
何故か石仏が山頂に散見できます
二の郭跡
一の郭から西に約50m程のところにあります
周囲には樹木が生茂り
展望はよくありません
緩やかな勾配の尾根道
ツワモノどもがここを行きかったのでしょうか
ここから山中にわけ入ります
行程中の一番の急勾配ですが短距離です
水道タンク
 ↓
尾根進入口
  ↓
中腹からの南側眺望
左に布施山(玉緒山)
右に雪野山が望めます
前方の平野部は
額田王の恋歌の舞台になった
「蒲生野」です
布施山の左奥には綿向山・雨乞山など
雪をかぶった中鈴鹿の峰々が望めます
拝殿前には、神様のお使いである猿が・・・・
左山中には、お稲荷さんも鎮座
ルート・シュミレーション はこちらから
一の郭近くからの眺望
来た方向が眺められます、左下が超福寺の工場地帯
この山麓からの登山ルートもありあます
正面には、八幡山(鶴翼山)、背後には津田山(奥島山)
左には岡山が望めます
三角点、標高:234.4m
三等三角点、点名:平木
二の郭近くにあります
道路を進んでゆくと
山頂付近に公共水道タンクが見えてきます
日吉神社の東側に、山頂へと延びる
公共水道タンクの管理用道路があります
道路の入り口にはフェンスが設けられ
進入禁止の措置がなされていますので
山中を道路に沿ってわけ入り
途中からこの道路に降り立ち前進します
日吉神社の鳥居前です
日吉神社・山王社と称す神社は
全国各地にみられるますが
その総本社は滋賀県大津市の
日吉神社(俗に日吉大社という)です
祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)
その神のお使いが猿であるわけです
日吉神社参道
神社前から雪野山がみえます
長閑な田園風景です
日吉神社の拝殿です
本殿は右奥にあります
瓶割山、東山麓からの山容です
左の山は岩倉山です
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