安土山 (あづちやま)
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八幡山城址
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北之庄城址
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東門跡石垣、北腰越からの巡礼道にあります
※巡礼道からの安土山東尾根入山は、2017.03.28.現在、立入禁止の規制がかかっています
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石垣:穴太積
二の丸石垣
大手道跡の石仏
百々橋口
※2017.03.28.現在、百々橋口からの入山は出来ません
築城から廃城へ
 ・ 1576年、正月中旬、安土城の築城を開始する
 ・ 1577年、安土山下町中に楽市楽座の掟書を発布する
 ・ 1579年、完成した天主に信長が移り住む
 ・ 1582年、ハ見寺に徳川家康を迎え、能が行われる
 ・ 1582年、本能寺の変で信長死去により
        一説には織田信雄軍(信長の次男)が火を放ち
        安土城の天主・本丸等が焼失
 ・ 1585年、 豊臣秀次の八幡城築城に伴い安土城は廃城となる
                               ( wikipedia )
円山城址↑
天守(天主)台の現状及び復元平面(標識)
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安土城址
石垣
天守(天主)台からの二の丸俯瞰
百々橋
※写真撮影日:2006.02.24
          2017.03.28 混在
撮影場所:繖山西尾根、安土山から東南東に約2.0km、雪山は比良山系
天守(天主)跡:安土山最高点
天守(天主)台への石段
近江の城山-TOP
山聲-TOP
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津田山山系
あづちじょう
安土城
別 名   遺構等 天守台、石垣、他
地  域 25en::八日市/北西NE   現 状 城郭遺跡
Mapion 滋賀県安土町下豊浦   築城者 織田信長
標  高 198m/88m=110m   築城年 天正4年(1576年)
訪城日 2017年03月28日(晴)   形 式 山城
山悠々 安土山060224   規 模 山域全体
繖山/安土山170328
概要 安土城は、織田信長によって現在の安土山に建造され、大型の天守(現地では「天主」と表記)を初めて持つなど、威容を誇りました。建造当時は、琵琶湖が山麓まであり、郭が琵琶湖に接していました。地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32m。それまでの城にはない独創的な意匠で、絢爛豪華な城であったと推測されています。ここで培われた築城技術が、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、相次いで日本国中に築城された近世城郭の範となったようです。そして、普請を手がけたとの由緒を持つ石垣職人集団「穴太衆」は、その後全国的に城の石垣普請に携わり、石垣を使った城は全国に広がっていった、という点でも重要とされています。本能寺の変後、山崎の合戦後の混乱による兵火や土民の放火により、城郭の大部分が消失。現在、国の特別史跡にしていされています。城址はハ見寺の管理で、遊歩道以外の山内には立入禁止措置が講じられ、入山が有料(大人¥700-、小人¥300-※)です。石垣など、自由な探索はできません。
ちなみに彦根城(大人¥600-、小人¥200-)、姫路城(大人¥1000-、小人¥300-)。※訪城現在
天守(天主)台からの蒲生平野
東門跡石垣
天守(天主)の礎石
石垣
石垣
二の丸から俯瞰
石垣:穴太積
大手道の石段に石仏が敷かれています
大手道
大手道
大手口の石垣
大手口
安土城配置図(石碑)