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近江の峠:鈴鹿峠(旧東海道/山道)
鈴鹿峠
鈴鹿峠を越える初めての官道は「阿須波道(あすはみち)」と呼ばれ、平安時代の仁和2年(886年)に開通しました。八町二十七曲といわれるほど、急な曲がり道の連続するこの険しい峠道は、平安時代の今昔物語集に水銀商人が盗賊に襲われた際、飼っていた蜂の大群を呪文をとなえて呼び寄せ、山賊を撃退したという話や、坂上田村麻呂が立烏帽子という山賊を捕えたという話など、山賊に関する伝承が多く伝わっており、箱根峠に並ぶ東海道の難所でした。
                           (環境省・三重県)
三重県側山道:旧東海道
石段は往時のものかわかりません
近代において整備されたような雰囲気です
右側にある水桶は馬の水呑み場です
鏡岩から見る国道1号
万人講常夜燈近くから見る国道1号の滋賀県側
↓三重県/↑滋賀県
峠から滋賀県側にある万人講常夜燈
↑坂下(三重県)
↓山中(滋賀県)
高畑山→
←坂下/高畑山↑
山中→
標   題 鈴鹿峠(旧東海道/山道)
山 行 日 平成20年03月29日(曇・晴)
地   域 鈴鹿峠/北東W
Mapion 滋賀県甲賀市土山町/三重県亀山市関町
付近状況 林道
撮影場所 林道
リ ン ク 山悠遊:鈴鹿峠-高畑山2008三子山
概   要 鈴鹿峠(すずかとうげ、標高:380m)は南鈴鹿に位置し、滋賀県甲賀市山中地区と三重県亀山市坂下地区の間にあり、鈴鹿山脈のなかで最も低い位置にある峠です。飛鳥時代(大和朝廷ができた頃)、鈴鹿の関から加太越え(現在の名阪国道沿い)を経て、大和と結ぶ重要な街道(古代東海道)があり、鈴鹿の関所(天下三関)が設けられていました。都が平安京に移ると、鈴鹿山脈を越えて近江に入る道が必要になり、鈴鹿越えの東海道が設けられ、古くから東国からの京都への重要なルートとして機能していました(以降、これより東側を東国〜関東、西側を西国〜関西と呼ばれるようになったそうです)。江戸時代に宿駅が整備され、現在も大動脈の一つとして重要な位置を占めています。峠は林の中にあり、滋賀県側は茶畑で峠まで林道がついています。三重県は急坂のジグザク道で車の通行はできません。東海道の難所といわれた往時のよすがが偲ばれます。
←坂下/高畑山↑
山中→
←高畑山
山中(滋賀県)↑
坂下(三重県)↓
←高畑山/坂下(三重県)↓
山中(滋賀県)↑