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中仙道と中山道について(編集子の独断と偏見による解釈)

五畿七道(ごきしちどう)とは、古代日本の律令制における、広域地方行政区画で
中央と地方を結ぶために、このころ幹線道路が整備されました
東山道(とうさんどう)もそのひとつで、「とうせんどう、ひがしやまみち、やまのみち」
などとも呼ばれました

いつのころからか
   東山道(とうさんどう)は、海や大河を通る東海道に比べ、山中を多く通ることから
   中山道はもちろんのこと、「山:せん」を「仙」に置き換え
   山(せん)の中の道、すなわち「中仙道」とも呼ばれるようになりました
   月日は経ち
   関ヶ原の合戦後、徳川幕府が最初に行ったことの一つが街道整備です
   そして、幕政の安定した1716年に、いろいろある呼称を「中山道」に統一されました
しかし
その後に設置された道標に「中仙道」の文字がつかわれているのを見かけます
当時の行政としても
当然のことながら、標識の書き換えは行われたはずです
だが、現実に残っています、点検漏れがあったのでしょうか、勤勉なお役人なのに・・・・
理由:その@、単なる点検漏れで取り換えるのを失念してしまった
       A、呼び方を統一されたことを知らず前の名前を使った
       B、意図的に前の名前を使った「計画犯」
       C、点検する役人の職務怠慢で取り換えなかった

それは、なぜ・・・・
編集子が思いますに、数ある理由のうち、Bではないかと思います
体制への『反骨』精神の現れかと考えてみました
いつの時代にも
権力を笠に着る者がいるから、抵抗勢力ができる
おしつけなんか守れるものか、「昔なじんだ呼び方がいい・・・・」
善い悪いは別にして
当時の民衆(一部ですが)の「心意気」みたいなものを感じます

されど
一方では、「改革なくして進歩なし」という言葉があります
一概に、反対のための反対ではいただけません
指標がないと独りよがりになります、ビジョンを持ちたいものです

青臭いかもしれませんが
「みんなが、しあわせになるために、何が大切か・・・・」、心いたしたいものです
近江の峠:木ノ芽峠(古道)
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標   題 木ノ芽峠(古道)
山 行 日 平成27年(2015年)05.月17日(晴)
地  域 18e:板取/北東W
Mapion 福井県敦賀市新保/南越前町(旧南条町)板取
付近状況 古道(旧西近江路)
撮影場所 山道
リ ン ク 山悠遊:敦賀鉢伏山
概   要 木ノ芽峠(きのめとうげ、標高:630m)には、律令制度が制定の頃より、北陸街道(越路)が敦賀から府中(旧武生)方面に通っていました。戦国時代に、北国街道が今庄から東山道(中仙道)鳥居本まで整備されたことにより、呼称がまぎらわしいことから、近世では西近江路(北陸海道とも)と表現されるようです。
平安時代、紫式部が父:藤原為時の越前国司下向に従って超えたのもこの峠。鎌倉時代、道元禅師や親鸞、蓮如などの僧侶も布教の路としてこの峠を越えました。南北朝時代、新田義貞が通り、戦国時代には、世に知られる元亀の騒乱(1570)の「金ヶ崎の退き口」時、織田軍の先陣はこの峠を越しています。江戸時代には、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で敦賀に入り、幕末には水戸浪士が通りました。
鉄道や国道8号の開通で、木ノ芽峠はその役割を終え、現在では、「歴史の道」として保存されています。この峠はまさしく歴史の証言者です。
今は、茶屋跡として一軒の茅葺屋根の民家が往時の佇まいを想起させてくれます。
←北尾根:鉢伏山/↑板取/新保↓/南尾根→
←東近江路(北国街道)
   元亀の騒乱(1570)後、越前を
   治めていた柴田勝家により
   整備されました
  ←北陸街道(西近江路)
    律令制度が制定された頃より
     整備されていました

※北国街道が整備されたのち
呼称が紛らわしいことから
西近江路と呼ばれました
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て作成しています。(承認番号 平25情使 第539号)
←東山道(中仙道)
   律令時代に整備された幹線道路   
茶屋跡の南側に立つ「明治天皇木ノ芽峠御小休所附御膳水」石碑
茶屋前には、「道元禅師入越慕古の道」の石碑とともに慰霊碑が立つ
石畳が残る(整備された)峠道
史蹟指定の刻文
←新保/↓南尾根/北尾根:鉢伏山↑/板取→
現在も、言奈地蔵の堂守をされている方が所有管理をされています
この茶屋付近の一帯は、所有者管理下にあり、無断立ち入りが制限されています
茶屋跡茅葺屋根
↑新保/板取↓
茶屋跡下まで車道が延びています
日野山
 ↓
茶屋跡からの北東側展望
峠の茶屋跡
明治天皇御膳水、「木の芽川源流、「弘法大師お手堀の湧水」の表示板
「この水場は、龍神様ご修行に付き『夜叉ヶ池派』、霊水として持ち帰り可」と表示板にあります
うすい石畳跡を下っていくと水場があります
茶屋跡管理者の方は、平氏の末裔
道元禅師碑の横に立つ「平重盛公墓石」
←南尾根/新保↑/板取↓/北尾根:鉢伏山→
鉢伏山への道標(文字が消えていて、手書きです)
茅葺屋根の煙抜き