よこやま ルート 石田登山口P(10:30)〜横山頂上(11:15/11:45)
〜茶臼山登山口(12:45)〜息長陵(13:25)〜烏脇
〜観音寺門前〜観音寺〜石田登山口P(14:30)
横 山 シュミレーション
地  域 25n:長浜/北東C 概要 北東に伊吹山を見上げ、北側には七尾山が伊吹山の前衛峰のような位置取りでその雄姿を横たえていいます。その山麓には、姉川が東から西に向かって琵琶湖に河口を延ばしています。その昔、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍の戦い:姉川の合戦の舞台として、この横山は双方にとっての重要な軍事拠点でありました。山頂には、横山城址があり、展望は伊吹山はもちろんのこと、湖北の山々や霊仙山をはじめ、琵琶湖西岸の比良山系までの眺望が欲しいままです。山頂から北端にある茶臼山古墳までの尾根道は、冬木立の時期には、木の間越しに視界が開け、落ち葉のじゅうたん道を進む快適な尾根歩きが楽しめます。この尾根では、いたるところで古墳の発掘調査が行われており、古より人々のかかわりが深かったことが窺い知れます。南側山麓の石田町は、石田三成生誕の地としても知られ、また東山麓には所縁の観音寺があります。
Mapion 滋賀県長浜市/山東町
標  高 312m/140m=172m
距  離 約9.0km、斜度:max25°
体力度 34P、☆☆
山行日 2004.01.12、(晴)
形  態 日帰り、3名
時  間 所要04:00/歩行03:10
アクセス 自家用車、00:30
備  考 落ち葉でスリップ注意
横山山麓にて
(長浜市)
春、一番乗り 2点
撮影日:2004.01.12

01 「春告川」標識
02 タンポポ
観音寺
草創期は伊吹山旧四大寺の一つとして伊吹山中にあり、鎌倉時代中期に、この地に移ったとあります。現在、本堂、鐘楼、惣門、木造伝教大師坐像が重要文化財の指定を受けています。そしてもう一つ、皆さんが「太閤記」などで、よくご存知のエピソードがあります。羽柴秀吉が長浜城主だった頃、鷹狩の際この寺に立ち寄りお茶の接待を受け、当時、小僧をしていた石田佐吉(後の石田三成)を「三碗の才」(お茶を飲みやすいように三回に分けて出した)で見出したことでも知られています
観音寺 惣門
(重文 H5.04.20指定)
ルート・シュミレーション はこちらから
敏達天皇皇后廣姫
息長陵(おきながりょう)

敏達天皇(びたつ)
在位期間 572〜585
朝鮮との外交に
功績があった
とあります

この陵は
敏達天皇の皇后である
廣姫と言われる方の墓所
左の山が
横山の山並みです
これは何の石
そばに標識があり
「1190年(丙寅)3月18日の夜
雲中遥かに光明赫耀として
此の横山の嶺石上に飛来す
里人飛天神と称す」

とありました
光明赫耀(かくよう)とあるのは
すい星のことなのでしょうか
いずれにしても
いわくありげな石であることはみてとれました
前方には
琵琶湖が竹生島を浮かべているのですがわかるでしょうか
山頂からの北側展望
湖北の山々
右遥か前方に
白く見えるのが金糞岳
左に見えるのが小谷山
前方山麓には姉川が横切る
この平野部で 1570年6月28日
姉川の合戦が行われました
横山はその重要拠点

この頂に立っていると
姉川の合戦の鬨の声が
辺りにこだまし
タイムスリップしているような
気持になります
横山岳山頂には
その昔、横山城がありました
ここは、小谷城主浅井家の
支城が置かれていたところで
山頂を中心に
曲輪や堀切、土塁などの
遺構が点在しています
山頂からの眺望は抜群で
伊吹山をはじめ
七尾山、天吉寺山、己高山
小谷山等の湖北の山々
南には霊仙山などが見えます
伊吹山が冠雪しているので
かろうじて冬の佇まいとわかる
冬とは思えない陽気でした
登山口(観音坂トンネル下)
急勾配で一気に尾根道に
登山道
落ち葉が一杯
四世紀の古墳から始まり
敏達天皇后の陵や姉川の合戦、「三碗の才」で知られる観音寺などなど
横山は歴史の漂う里山です
横山山容
中央の峰からの眺望が抜群(茶臼山古墳際から南を見る)
観音寺参道、正面は本堂(重文)
参道は手前300mほど惣門まで続きます
茶臼山古墳
(ちゃうすやまこふん)
「前方後円墳、4世紀後半
長浜平野および湖北一帯を
最初に掌握した豪族の
首長墓と推定される」
とある
右側に
登山道が口をあけている
現在、山中では
いたるところで
発掘調査が行われていました
横山岳山頂
尾根道
冬木立の中、視界は良し
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
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