とらごぜやま/おかやま ルート 河毛駅P(10:45)〜中野登山口(11:30/11:50)
〜虎御前山頂上(13:30)〜北登山口(14:10)
〜岡山東登口(14:30)〜岡山〜河毛駅P(15:35)
虎御前山/岡山 シュミレーション
地  域 25n:虎御前山/南西W 概要 虎御前山は、小谷山の南西に位置する標高224mの独立丘陵の里山で、多くの古墳を有し、昔から戦いの場となったところです。特に戦国時代の姉川合戦後、元亀元年(1570年)から3年間にわたり、織田信長が小谷城の浅井氏を攻略するため、最前線基地を置いたのがこの虎御前山で、その砦跡(陣跡)が今なお残ります。登山道(ハイキングコース)は、南北の尾根を縦走する形で設けられ、それらの陣地を巡るようになっています。車でも中腹の教育キャンプ場まで登ることができ、東に伊吹山系や鳥越峠を眺め、西には山本山や琵琶湖に浮かぶ竹生島を望める風光明媚なところです。山名は、町名の由来ともなった虎御前伝説にちなんでつけられたと伝えられています。尾根を南から北に縦走し、北西に位置する岡山にも足を延ばします。小谷の戦いに際し、浅井方の援軍として朝倉方が陣地を設けたところで、丁野山城址・中島城址があります。
Mapion 滋賀県湖北町/虎姫町
標  高 224m/90m=134m
距  離 約8.0km、斜度:max25゜
体力度 29P、☆
山行日 2007.10.02、(晴)
形  態 日帰り、2名
時  間 所要04:50/歩行03:25
アクセス 自家用車、00:50
備  考 特に問題なし
ルート・シュミレーション はこちらから
小谷山
大嶽城址
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福寿丸
 ↓
山崎丸
 ↓
岡 山
 ↓
谷田神社由緒
延喜三年(903年)河毛村地主神として坂本山王宮より大山咋命
(おおやまぐひのみこと)を勧請。
承平五年(935年)朱雀天皇より「谷田山」の勅額を下賜さるにより合祀。
観応三年(1352年)足利尊氏戦勝祈願にあたり朱印地寄進。
元亀四年(1573年)信長の兵燹(へいせん:戦争のために起こる火事)により社殿消失も秀吉らの山系により再建が計られる。
安永三年(1774年)井伊掃部守により改築
明治二年谷田神社と改称  (神社略記より)
小谷山
山崎丸
 ↓
伊吹山
  ↓
山脇山
   ↓
岡山山頂
   ↓
谷田神社
 ↓
岡山山頂からの西側展望
弥勒寺跡 (写真-下付近)
弥勒寺は、現在はその跡のみを留めるが、江戸時代の丁野山古砦図に建物が描かれています。
天平寶字三年(759年)、神社前の知郷池から弥勒菩薩が出現したという伝説があります。
行基作の弥勒菩薩が安置されていたといわれています。   (標識)
山本山
 ↓
竹生島
  ↓
14:35 岡山、虎御前山方向をむいています
    三等三角点、点名:岡山、標高:169.1m
岡山山頂を目の前にして
中島城址(標高:130m)、虎御前山方向を見ています
中島城址
天正元年(1573年)の小谷城攻防の時に、浅井氏の家臣中島宗左衛門直親が守っていたと伝えられています。
地形を利用し、土塁と堀で巧みに築かれています。
             (標識)
岡山を東側※から眺めます
(※虎御前山北登山口近くの北陸道北側)
山脇山
   ↓
三角点峰
   ↓
虎御前山
  山頂
   ↓
←小谷山
岡 山
丁野山城址
    ↓
中島城址
 ↓
小谷山を西側※から眺めます
(※虎御前山北登山口近くの北陸道北側)
小谷山
大嶽城址
 ↓
福寿丸
 ↓
山崎丸
 ↓
虎御前山→
虎御前山北登山口からの岡山
岡 山
 ↓
山本山
  ↓
山脇山
  ↓
14:10 北登山口(道路側から)
北登山口降り口付近、この付近急坂
木下秀吉陣跡付近からの小谷山、標高:220m
柴田勝家陣跡付近からの小谷山、標高:180m
13:20 滝川一益陣跡、この奥に三角点峰
   三等三角点、点名:中野、標高:202.9m
ハイキングコース
舗装道路はアンテナ管理用道路
アンテナ、周囲にフェンスあり、右に三角点峰
虎御前山には古墳時代から奈良時代にかけてのものと推定される円墳や前方後円墳の遺構が数多くあり、戦国時代には、この古墳を利用した砦が築かれていました。蜂屋頼隆陣が築かれていた「北山古墳」や、元亀三年、織田信長が小谷城攻撃のために築いた砦跡があり、堀秀正、木下秀吉、滝川一益などの諸将も砦を築いていました。
また、八相山には、奈良時代天平宝字二年(756年)孝謙天皇の勅願により、大嶽寺十ヶ寺の一つとして成道寺が建立され、僧坊十戸があったとされています。この成道寺跡の一部にいま矢合神社が建てられています。(虎姫町)

※山域には関係諸団体の標識が色々あります
 それぞれがそれぞれの思いで掲示されています
教育キャンプ場センター広場からの南東側展望
教育キャンプ場センター広場からの東側展望
伊吹山
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横山
 ↓
霊仙山系
 ↓
横山山系
 ↓
竹生島
  ↓
山本山
  ↓
丹羽長秀(にわながひで)
1535〜1585
織田信長に仕える
近江六角氏の箕作城攻略
姉川の合戦後は佐和山城攻めを担当の後佐和山城主
安土城普請の奉行を務める
賤ヶ岳の合戦後は越前北ノ庄城主
三角点峰
  ↓
三角点峰
  ↓
小谷山
大嶽城址
    ↓
鳥越峠
 ↓
平安時代の「延喜式」に八相山鎮座八相社とあり、古くは八相社または八相大明神と称していたと考えられています。矢合神社が鎮座する虎御前山南尾根は、八相山とも呼ばれています。祭神は、水辺を司る神・葦那陀迦神です。この地は、古くから水利に恵まれず、水にまつわる歴史や祭儀が多く、人々の水を獲得するための苦労とともに、水に対する感謝の心をしのぶことができます。(湖北田園空間博物館-編集)
【八相を「やはひ」と訓読し、往古弓矢の神事があり、村人が盛んに射的を神前で行い、多くの矢が行き会うことより、矢合いの文字をもって社名としたと伝わっています。(神社由緒-抜粋)】
小谷山
 ↓
天吉寺山
  ↓
北山古墳跡付近、蜂屋頼隆陣跡
虎御前山散策マップ
一本松古墳、写真は後円部分?
「虎姫」という名のおこり
その昔、長尾山という山の麓に桃酢谷というところがありました。そこには、井筒という泉があり、そのほとりに虎御前という名の美しいお姫様がすんでいました。虎御前は中野に住む世々開という長者と結ばれ、中睦まじく暮らしていました。やがて虎御前は身もごりましたが、生まれてきた子は15匹の小蛇でした。我が身を嘆いた虎御前は、女性淵池に身を投じてしまいました。その後、子供達は成人する頃には人間の容姿となり、辺りの土地を治める長となったということです。以来、この山は虎御前にちなみ、いつの頃からか虎御前山というようになりました。
明治22年に町村制が施行されたとき、虎御前を親しんで「虎姫村」と名付けられ、昭和15年に現在の「虎姫町」となりました。
    (虎姫町・虎姫町観光協会)
11:30 中野登山口
     ここには
     駐車場があります
中野地区北端から西側に
山本山が浮かんでいます
中野地区の北端から三角点峰を眺めます
神社右脇を登ってゆくと
地蔵堂があります
文化財の標柱が側にあります
湖北町の現在地に文化財登録は無し、調査の必要があります
広い切削地で、昔は寺院があったのかもしれません
入口の神社は神仏混淆の名残でしょうか
虎御前山
三角点峰
  ↓
林に囲まれて社殿、神社名は不明です
虎御前山は里山で、ハイキングの気分で簡単にでかけられるポイントです。姉川の合戦以降の小谷城攻めに際する歴史的遺構が残っている所です。ここに秀吉が陣して、清水谷から京極丸と本丸を分断した・・・・、などと、思い描きながら歩くのもハイキングの楽しみの一つです。写真を撮りながら、風景を楽しみながらのノンビリ山行です・・・・
北登山口
  ↓
15:15 岡山南側登山口
  ↑
北陸本線
入口に薬師瑠璃光如来の石碑
10:45 河毛駅 駐車場出発、西山麓からの虎御前山山容パノラマ
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
撮影日:2007.10.02

01 ドングリの実
02 ヒガンバナ
03 ツリガネニンジン
04 フジの豆
05 キキョウ
06 キノコ
←谷田神社/岡山
河毛駅→
中島城址から岡山(丁野山城址)を見る
中島城址(土塁)を西側から見上げる

東詰め登り口
堀秀正陣跡、標高:210m
13:30 虎御前山頂上、標高:224m
     織田信長陣跡
教育キャンプ場
センター広場からの西側展望
蜂屋頼隆(はちやよりたか)
〜天正十七年(1589)
信長に仕え頭角をあらわす
朝倉攻め後近江肥田城主
本能寺の変後岸和田城主
を経て、越前敦賀城主
継嗣がなく家は断絶
天吉寺山
  ↓
小谷城址
   ↓
かつて古墳の上に一本の大きな松の木があったことから自然と「一本松古墳」と呼ばれ、その墳形から前方後円墳ではないかといわれています。近隣の古墳からは、舶載鏡や円形周溝墓などが出土しており「弥生時代後半にはすでに大陸文化を吸収する強力な勢力者がこの地にいた」と考えられています。この古墳にもそんな時代の人物が眠っているのかもしれません。  (中野区町づくり委員会)
11:50 中野登山口出発
 ↑
地蔵堂のある小山
山の彩り:6枚
虎御前山山中にて
(滋賀県虎姫町)
岡山山頂(標高:170m)、北側を向いています
15:15 岡山東詰め登り口からの虎御前山
滋賀県立
虎御前山教育キャンプ場
丹羽長秀陣跡
展望台からの北側展望
12:05 矢合神社(やあいじんじゃ)
地蔵堂への道標、奥の林の中
 ↑
地蔵堂のある里山
中野登山口
      ↓
岡山南登山口からの岡山山容
谷田神社
鞍部、東西南北通路の交点です
←河毛駅
西国八十八箇所岩屋寺
展望所を進んだ所にあります
蜂屋頼隆陣跡からの小谷山
前方の施設は展望台
この地域は権力闘争の舞台であるとともに、民衆の信仰の深い地域でもあります。
史跡や、神社仏閣などをたどりながらタイムスリップできるところです。
三角点峰
 ↓
河毛駅前からの小谷山

15:35 河毛駅 到着
山脇山西側山麓からの岡山
←河毛駅
北側登山口→
  中島城址↓
高月駅→
丁野山城址
丁野山城は、永正十五年(1518年)浅井備前守亮政によって築造された戦国時代の山城で岡山城とも呼ばれています。
天正元年(1573年)織田勢との小谷城攻防の時に浅井を加勢にきた越前朝倉勢(堀江甚助・久保田勘十郎・玉泉坊等)が立て籠もっていたが同年八月十三日に落城しました。   (標識)
地蔵堂から南に直接山中を下ると
虎御前山の三角点峰が正面に・・・・
虎御前山山頂
 ↓
岡山南山麓からの東側展望
岡山東詰め登り口→
↑岡山(丁野城址)
←南側登山口
小谷山
 ↓
山聲-TOP
山悠遊-滋賀湖北