やたかやま ルート 路傍駐車(08:45)〜平野神社〜弥高寺跡(11:15)
〜弥高山〜860峰(12:15)〜城跡(13:00/13:50)
〜上平寺京極家館跡(14:30/14:50)〜P(15:15)
弥高山 シュミレーション
地  域 25ni:関ヶ原/北西C 概要 米原市(旧伊吹町)上平寺(じょうへいじ)地区、弥高(やたか)地区は日本百名山に選定された伊吹山山系の南側に位置し、京極氏の遺跡が残っています。室町時代、京極氏の内紛を納め、京極氏の力を取り戻した京極高清(きょうごくたかきよ)が北近江の支配のために整備した施設の遺跡です。庭園のある守護館、重臣屋敷、城下町、詰めの山城、城郭として利用した山岳寺院(弥高寺跡:やたかでらあと)が良好に残る遺跡群で、平成16年(2004年)に国の史跡に指定されました。弥高寺の創建は平安時代に遡る遺跡です。往事は弥高百坊といわれる大寺院でした。これらのある山岳一帯の高所(標高:838.7m)が弥高山と称されます。弥高集落には、山名を山号とした寺院や、奈良時代後期に建てられた神社もあり、まさに歴史に包まれた山麓です。今回は、新緑に包まれた山域を、往時に思いをはせながら巡ります。クマの出没に注意しながら・・・・
Mapion 滋賀県米原市(旧伊吹)
標  高 860m/240m/=620m
距  離 約9.5km、斜度:max27°
体力度 47P、☆☆
山行日 2006.05.31、(晴)
形  態 日帰り、1名
時  間 所要06:30/歩行04:35
アクセス 自家用車、00:30
備  考 夏季虫・下草多し
上平寺には
北近江の戦国大名:京極高清
(きょうごくたかきよ)が築いた
居館(日常の住まい)や家臣の館、城下町の遺構が残っています、これらは、共に国の指定史跡です
    (米原市教育委員会)
上平寺集落から
上平寺城跡のある峰を望む
奥には
伊吹山の山麓が覗いています
館跡には
「御自愛泉石」と云われ
庭園があり、雑木林の中に
瓢形の池や立石が残ります
北畠氏庭園(三重県美杉村)
一乗谷朝倉氏庭園(福井市)
旧秀隣寺庭園(朽木村)
江馬氏庭園(岐阜県神岡町)
などとともに
室町時代の武家庭園として
貴重な遺構と云われています
京極氏館跡の庭園
館跡は奥(南側)にあります
京極氏一族の墓と伝えられる
五輪塔です
もともとここに
京極高清の墓石がありました
江戸時代に
丸亀藩主・京極高豊が
京極家の菩提寺徳源院
(山東町清滝)に
歴代藩主の墓を整備したときに
高清の墓は移されました
      (米原市教育委員会)
京極氏の城郭は
南北朝時代の太平寺城をはじめ、正楽寺城(甲良町)、上平寺城、弥高寺というように、寺院と重複しています。
これは、単に山岳寺院の施設を縄張りの中に取り込もうとしただけでなく、領民の崇拝する聖地に城を構えることによって、領民に領主権を認めさせる狙いがあったかもしれません
    (滋賀県教育委員会)
本丸跡
伊吹山(北方向)が望めます
上平寺城本丸跡
上平寺城本丸跡
京極氏が築いた山城で
東西50mx南北300mの規模を持つ本丸の南に二の丸・三の丸があり、土塁や堀切が残る
    (伊吹町教育委員会)
弥高山から下りてくると
主郭、前方(山麓に向けて)に
付属の郭がありました
主郭は、左側の高台にあります
京極氏の居城・上平寺城(別名:桐ヶ城)は、伊吹山の三合目東尾根上、標高:660mに築城されました
応仁の乱以降(1505年頃)のことです
この城は、京極高清が山麓に館を構えたとき、「詰めの城」として築城されました
城は、北国脇往還道を見下ろす位置にあり、近江・美濃の境目の城として機能していたと推定されています
(滋賀県教育委員会)
上平寺城跡から弥高寺跡を望みました
大門跡
 ↓
本坊跡
  ↓
ヤセ尾根?よく見ると上平寺城北側にある堀切でした

弥高寺は上平寺城と谷を挟んで対面する位置にあり
城郭としての機能も持っていたそうです
弥高山(右)と
弥高寺(左)への分岐
右側から降りてきました

いつクマが出てきても
おかしくないような登山道です
弥高山からの帰り道
尾根分岐です
五合目尾根(右)から
降りてきました

登りは、弥高寺跡(中央)
クマ笹の中からでてきました
これから
上平寺城跡(左)に向かいます
最も北側にある大堀切
この右側より伊吹山五合目への登山道が設けられています
本坊跡の東端に立ち、東側を見ました(4枚合成)、前方の尾根に上平寺城跡があります
↑           ↑
――上平寺城跡――
大堀切
   ↓
本丸跡
本坊跡:南側を向いています(4枚合成)、正面の窪地の向こうにあるのは霊仙山です
本坊跡:北側を向いています(4枚合成)、伊吹山は前方の山陰に隠れています
表示看板には
次のようにありました・・・・
『弥高寺(やたかでら)は仁寿年間(851〜854)、僧三修(さんしゅう)によって設けられたと伝えられています。伊吹山寺の一つで、地元では弥高百坊と呼ばれています。この寺は、伊吹山寺の中心をなした寺院と推定されますが室町時代に火災などにより徐々に衰退していきました。雄大な規模を誇る弥高寺跡は、伊吹山に展開した山岳寺院の歴史を解明する上で重要な意義を持つています。』
(滋賀県教育委員会-抜粋編集)
登山道:参道を進んでゆくと
大きな広場に出ます
弥高寺本坊跡です
標柱には
『扇形に広がる坊跡群の頂点にあり
標高:714m
東西約70mx南北約60m
土塁が巡り
山側に基板上の高まりがある』
        (伊吹町教育委員会)
大門から少し入った所に石仏
中央下の白いものがそれ・・・・
弥高寺の大門跡です
きれいに刈り込まれています
秋にはススキの穂が
たなびくのでしょうか・・・・
弥高寺跡
平成16年(2004年)2月27日
近江伊吹山麓の
京極氏遺跡として
京極氏城館跡・弥高寺跡が
国の史跡に指定されました
林道終点
ここから登山道になります

ここから上平寺城跡への
道標もありました
伊吹山二合目〜三合目の斜面
ルート近くの尾根上にある
2箇所の鉄塔内の2箇所目
林道から約100m寄り道すると
伊吹山の一合目〜三合目が
目の前に広がります
ここ
 ↓
林道との出合いです
左側の大きな木のところから
登ってきました
登山道は右側山手に
入っていきます
200m程進むと林道と
再び出合い、林道を進みます
弥高寺跡への注意書き看板
登山道の道標は
これしかありません
下調べをされていないと
この登山口を
見逃すかも知れません
平野神社鳥居脇からの
伊吹山山容
三合目が間近に見えます
平野神社
『光仁天皇(こうにんてんのう、第49代、在位770〜781年)の勅願によって、宝亀9年(778年)に建てられました。この地には榊の大木があり、霊験あらたかで神木と崇められてきました。当時は、朝廷の賢所で、お神楽や新嘗祭が行われる時は、神のお告げで弥高山のこの神木を遥かなる都の地より拝むことが例年のならわしであったと伝えられています。この宮は、国家安泰、民衆安楽の加護神です』   (平野神社-抜粋編集)
弥高山↑
山麓にある平野神社
弥高山 善通寺の石柱
真宗大谷派の寺院です
左の路地を入った所に堂宇があります
山号が弥高山を称しています
弥高集落から見る伊吹山
左の川は弥高川です
弥高山は右側の峰です
旧北国脇往還道から
伊吹山を眺めます
右の峰が弥高山
左の峰のように見えるのが
伊吹山三合目です
谷あいに弥高集落があります
尾根沿いに
高圧鉄塔に向かって
高度を上げてゆきます
弥高寺跡
弥高山の山容、奥に伊吹山がみえます、大清水集落からの眺望
堀切
地面を掘ってきり通した堀
城などの防御のために
構築されました
伊吹山一合目
前方に見える山は横山です
弥高山
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  |
  ↓
京極氏一族の墓
弥高山、三角点付近、三角点を探しましたが
結局見つからず、草の中に埋もれている様です
伊吹山
 山頂
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  ↓
北国脇往還道から
上平寺集落に入る道の一つに
大きな看板が目立つ国指定史跡の明示が・・・・
本日の山行における最高点、標高:860m
刈安尾城は、弥高百坊跡に京極氏が築城したとされています
一時期、上平寺城を含めて刈安尾城として機能していたように推測されています
伊吹山二合目です
上空にパラグライダーが飛んでいます
後方の山は七尾山です
伊吹山三合目
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 ↓
ルート・シュミレーション はこちらから
  ↑
弥高集落
伊吹神社
京極氏一族の墓は
階段を上がりきったところにあります
クマ注意の看板脇に
シャガが群生していました
860峰からの伊吹山(3枚合成)、前方の尾根伝いに五合目まで登山道は延びています
本坊背後の大堀切
寺としてはありえない
巨大な堀切です
これからも城郭としての
性質をかねていたと
推測されています
山聲-TOP
山悠遊-滋賀伊吹
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき