こじょうざん(だいこうやま) ルート 秋葉神社路傍駐車(13:55)〜登山口〜曲輪
〜古城山頂上/岡山城址主曲輪跡(14:45)
〜忠魂碑分岐〜秋葉神社〜路傍駐車地(15:45)
古城山(大岡山) シュミレーション
地  域 25k:水口/北西E 概要 水口市街北側に山塊を成す古城山(別名:大岡山)は、通称:古城山(しろやま)と呼んで親しまれています。街道(旧東海道:現国道1号)を眼下に見下ろし、鈴鹿峠から蒲生一帯を一望することができるため、軍事・交通上要衝の地として重要視されました。この地形を生かして天正13年(1585)、羽柴(豊臣)秀吉が、この地域を支配させるために、家臣の中村一氏に命じて城を築かせたのが岡山城です。山麓の市街地は、この城下町として整備され、水口の町の原形が出来上がったのはこの頃だといわれています。岡山城は、その後増田長盛、長束正家と、いずれも五奉行の一員があてられました。慶長5年(1600)の関ヶ原合戦に際し、長束正家が西軍に味方し、敗れて帰城後、池田輝政らに攻められて炎上、落城し、長束正家は日野に逃れ、自刃しました。後、水口城が設けられたことにより、この城は廃城となり、現代に公園として整備されました。
Mapion 滋賀県甲賀市水口町
標  高 283m/180m=103m
距  離 約2.5km、斜度:max23゜
体力度 10P、☆
山行日 2009.04.07、(晴)
形  態 日帰り、2名
時  間 所要01:50/歩行01:15
アクセス 自家用車、01:10
備  考 特に問題はなし
撮影日:2009.04.07

01 椿-桃色
02 椿-斑入り赤
03 椿-斑入り白
04 椿-白色
05 椿-赤色
06 椿-桃色木
ルート・シュミレーション はこちらから
水口城址(別名:碧水城)
水口(みなくち)城から約1kmに古城山(こじょうざん)があります。
通称、古城山(しろやま)と呼ばれ、戦国時代には頂上に岡山城が築かれていましたが
関ヶ原の戦いの時に落城しました。 
水口町水口橋左岸、古城山から南西に約1.0kmからの山容
←水口城
秋葉神社社殿
白玉神社
古城山は「水口郷土の森」としてハイキングコースや遊具のある広場が整備されています
尚、現在は遊具などの施設は使用禁止となっています
城のなごりは中腹にわずかに石垣を残すのみとなっています。
山頂からは水口の町が一望でき、春は桜、秋は紅葉の名所として多くの人でにぎわい
住民の憩いの場になっています。
飯道山
 ↓
阿星山
 ↓
大納言
   ↓
鳥ヶ嶽
綿向山方面
 ↓
日本コバ方面
    ↓
コブシの花が咲き競います
空堀脇からの南側展望
     樹間からしか展望はありません
城址二の曲輪(仮称)の主曲輪側にある空堀
椿がみごとに花を付けています
←城址二の曲輪(仮称)/堀切/三の曲輪(仮称)
公園整備ができていたときは堀切に橋がかかっていたそうです、現在は柵です
13:55 秋葉神社前道路 路傍駐車
     出発、標高:180m
山中の彩り、ショウジョウバカマの群生、編集子もこのような群生を見るのは初めてです
現地案内図
午前中に鈴鹿の山行が早めに終わったので、帰路の途中、以前から気になっていたこの山にやってきました。山域全体に遊歩道がめぐらされ、城跡公園としてハイキングに最適の所です。きれいな花にも出会えて・・・・
古城山南東側山麓からの山容
秋葉神社、石段の参道
15:45 秋葉神社 車道路傍駐車地到着
一際眼を引く斑入りの八重椿がありました
遊歩道
↑忠魂碑/秋葉神社
古城山山頂↑
15:15 忠魂碑分岐、標高:220m
城址五の曲輪(仮称)からの主曲輪の北側
西側「展望広場」からの西方向展望
古城山山頂、東側「展望広場」からの東方向展望
城址三の曲輪(仮称)より四の曲輪(仮称)、東側展望
蒲生郡の展望が広がります、花霞が出て、折角の展望が残念です・・・・
高低差を利用して滑り台が設けられています
何処の施設でも同じですが
管理が行き届かず使用禁止に・・・・
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
山聲-TOP
山悠遊-滋賀甲賀
山の彩り:6枚
古城山山中にて
(滋賀県水口町)
14:45 古城山頂上、標高:282.9m
     四等三角点、点名:古城山
     山頂には阿迦之宮の祠があります
「展望広場」、岡山城址主曲輪
空堀脇から主曲輪に向かう遊歩道
「かえでの森園」
城址二の曲輪(仮称)から
   堀切/三の曲輪(仮称)方向を望む
「お祭り広場」のゲート、こわれて現在は後の祭り・・・・
「こどもの園」、岡山城址四の曲輪(仮称)
遊歩道
遊歩道、椿の木が多く見かけられます
綿向山方面
   ↓
高畑山方面
 ↓
城址四の曲輪(仮称)より
      三の曲輪(仮称)を見仰ぎます
撮影:2005.09.08(曇)
14:00 秋葉神社の東側にある登山口、標高:180m
江戸期の寛永11年(1634)、徳川家康が水口の地に新たに城(将軍家御茶屋御殿)を築き、水口城と称しました。この時、水口城を築城するにあたって岡山城の石垣を石材として利用したとも伝えられています。水口城が築城なった時点で、岡山城は廃城となったと考えられます。