こうじんやま ルート 公園P(09:40)〜本坂口〜荒神山神社(10:45)
〜三角点〜山頂(11:20)〜石寺(12:10/12:40)
〜稲村神社(13:20)〜荒神山(14:00)〜P(15:05)
荒神山 シュミレーション
地  域 25e:能登川/北東W 概要 荒神山は、琵琶湖に流れ込む宇曽川の河口近くの西側にあり、湖東平野の中に、ポツンと岡のように山塊をなしています。周囲約6.0kmの小さな里山です。南北山麓より車道がつけられ、山頂まで歩くことなく辿り着くこともできます。尾根縦断をしても、1時間30分もあれば通り抜けできるので、ウォーキングに適し、休日には車道を歩く人を多く見かけます。山頂には荒神山神社があり、カマドの神様などが祀られています。また、山頂の北側には4世紀末の前方後円墳があり、平成16年(2004)にその詳細が公表されました。山麓には、神社仏閣も数多くあり、鳥居を潜るたびに頭を下げること度々。いかな欲張りな人たちの願いの数も、品切れるかもしれません。また、山頂の西側にはハンググライダーの滑走路があり、運がよければ飛び出す瞬間をスケッチできるかもしれません。北東側山麓には、公園整備され市民の憩いの場となっています。
Mapion 滋賀県彦根市
標  高 284m/90m=194m
距  離 約10.0km、斜度:max23゜
体力度 41P、☆☆
山行日 2007.01.21、(晴/曇)
形  態 日帰り、2名
時  間 所要05:25/歩行04:00
アクセス 自家用車、00:20
備  考 北尾根ルート一部急坂
ルート・シュミレーション はこちらから
撮影日:2007.01.21

01 サザンカ
02 サザンカ
03 ヤブコウジ
04 ヤブコウジ
高取山/秦川山縦走路(標高:450m)、山行日:2006.05.04、荒神山から南南東へ11.8km
イワス山山頂(標高:640m)、山行日:2006.04.28、荒神山から東北東へ10.7km
野田山山中(標高:250m)、山行日:2006.12.11、荒神山から東北東へ約8.6km
荒神山八景
荒神山を目標とした山座同定
北尾根ルート最大の急勾配:約23度
三角点峰
    ↓
宇曽川
  ↓
14:50 唐崎神社(とうさきじんじゃ)
←石寺山麓/稲村神社↓
荒神山山頂→
14:00 ハンググライダー滑走路
     誰もいなくてゲートは閉まっていました
稲村神社から尾根への急坂
13:20 稲村神社(いなむらじんじゃ)
     カメラの背後は石垣
     階段は無く参道は横から、なぜ?
13:05 南車道:登山口
 
登山道
車道と登山道(ダート、一部石段)の分岐

登山口
12:10 石寺山麓 登山口
     イノシシ除けにフェンスがあります
荒神山山頂
    ↓
北尾根
  ↓
古 墳
 ↓
低い山なのにヤセ尾根が・・・・
登山口
  ↓
西尾根三つ又分岐
↓石寺山麓/稲村神社→
↑荒神山山頂
ハンググライダーの待機所です
準備中の方にいつ飛ぶのですかと問うと
滑空は30分後とのこと
待ちきれず先を進みました
滑走路
  ↓
滑走路プラットホームからの眺め
水田の碁盤目状の地割りは
古代の条里制の名残といわれています
11:10 荒神山三角点(標高:261.5m)
11:20 荒神山山頂(標高:284m)
NHKTVアンテナの他、3本のアンテナが林立
荒神山古墳は、近年まで一部の研究者にしかその存在が知られていませんでしたが、平成14年に彦根市史編さん室と滋賀県立大学考古学研究室によって測量調査が行なわれ、調査の結果、後円部・前方部で段築(だんちく)の平担面、葺石(ふきいし)の下端部や埴輪(はにわ)列などを検出し、全長124m、後円部直径80mの古墳時代前期後半(4世紀末)の古墳であることが判明しました。なお、後円頂部には大きな被掘坑が見られ、埋葬主体部(まいそうしゅたいぶ)は、既に盗掘されているものと思われます。 (彦根市教育委員会-抜粋)
山頂部・神社・荒神山古墳位置図
発掘現場撮影位置
荒神様は、昔から一家の経済の中心とされる「かまど」の神様です。台所をお守りくださる神札は、現代のカマドであるガス台の上方に祀ると好いでしょう。(神社案内板)
社務所の土間にある大きなカマド
注連縄が巻かれています
社務所の煙抜きです、降り棟がある立派な造りです
45代聖武天皇(在位:724-749年)の時、四十九院創建の折、当山に三宝荒神(大日・不動・文殊の三体)を勧請し、四十九院の奥の院として「奥山寺」と称されました。当時、この山の名を「倍山(はいやま?)」と呼ばれていました。
中世になり、織田信長の兵火によって堂宇は消失してしまいました。江戸時代、井伊家の崇敬をうけ、明治維新を向かえ、慶応4年(1868)、神仏混淆廃止により、三宝大荒神社を改め、荒神山神社となる
(神社由緒書:一部編集)
まるで城の石垣のようです
階段を登りきると神社拝殿前にでます
関ヶ原の合戦後、井伊直政が近江に封ぜられたとき
この地に築城の計画があったそうです
荒神山神社の起源は
約2300年前、7代考霊天皇(在位:前290-前215年)に、淡海国ができ水を湛えてこの山が現れました。
26代継体天皇(在位:507-531年)の時代に神事が行われたとあります。38代天智天皇(在位:668-672年)の時代、犬上・愛知・神前(神崎)・蒲生四郡の祈祷所として祓殿を設けられました。現在も6月晦日に例祭がおこなわれます。これが、水無月のお祭りです。
10:35 中腹車道出合
↑本坂登山口/中腹車道出合↓
10:15 荒神山 本坂登山口
     正面の最高所が山頂です
     左の建物は荒神山神社の末社
神社の参道でもあり、整備されています
荒神山神社参道
道路角の石柱には
「奥山寺」と彫られています
その昔、荒神山には
奥山寺という寺院があり
現在は
この石柱が往時を物語ります
天満天神社(てんまてんじんじゃ)
菅原道真が祭神です
宇曽川を南下(遡上)した道は
ここから西へ・・・・
いつでも行ける。いつかは行ける。近すぎて・・・・
いつかは登りたいと思いながら、いつの間にか35年が過ぎていました。車では何度も登った山なのですが、歩いては今回が初めて。知り合いにバカにされてしまいました。要するに、簡単すぎる山じゃないか・・・・という意味らしい。されば・・・・、並みの山行に仕立てるため、一旦登って違うルートを登り直すことにしました。でも、歩いてみると思わぬ発見もあり、里山歩きを存分に楽しむことができました。里山、されど里山・・・・。暖かい1月、山の足あとを一座加えることがかないました。バンザイ〜・・・・
13:40 尾根分岐
石寺山麓からの荒神山山頂
※神社の由緒書には天皇の歴代は
26が27代に、38が39代と記されていましたので訂正記載いたしました
千手寺山門、ここから三角点へのルートが・・・・
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
荒神山古墳
 ↓
佐和山山頂(標高:232m)、山行日:2006.04.27、荒神山から北東へ約8.1km
繖山北尾根見晴場(標高:400m)、山行日:2006.01.05、荒神山から南南西へ約10.4km
彦根市三津屋地区曽根沼(標高:86m)、山行日:2003.06.21、荒神山から北北西へ約1.2km
彦根市甘呂地区(標高:90m)、山行日:2003.06.21、荒神山から北東へ約2.1km
展望台、曽根沼や琵琶湖が眼前に見えます
←唐崎神社
荒神山山頂↑
三角点峰
    ↓
唐崎神社山麓

15:05 駐車場到着
東尾根
  ↓
山の彩り:4枚
荒神山山中にて
(滋賀県彦根市)
彦根市稲枝地区(標高:90m)、山行日:2006.10.09、荒神山から南へ約2.7km
14:25 北車道出合
荒神山古墳発掘調査現場
北尾根:三角点分岐
神社から北尾根に入り三角点を目指します
豊臣秀吉の寄進といわれる灯篭
神社職員の方に教えていただきました
灯篭の後ろにある木はユズリハです
神社の方も謂れはわからない、とのこと
カマドの上には神札が祀られています
10:45 荒神山神社 本殿
09:40 荒神山公園 駐車場
    三角点尾根を見上げます
北尾根
 ↓
山聲-TOP
山悠遊-滋賀湖東