ルート・シュミレーション
山聲-TOP
クリックで拡大
この3D画像(カシミール3D)の作成は、国土地理院長の承認済。(承認番号 平25情使、第539号)
佐和山山頂からの山座同定           
彦根市の佐和山城址、千貫井戸の遺構、南側切り開きからの展望です。関ヶ原の合戦直後の佐和山城攻防に際し、雨壺山から戦況を眺めたのが家康だったとか・・・・  2010.10.02(滋賀県彦根市)
荒神山
 ↓
雨壺山
 ↓
湖東山地
繖丘陵
  ↓
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)
数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)
および基盤地図情報を使用して作成しています。(承認番号 平25情使 第539号)
表示測地系:WGS84、経緯度線@10''(緯線:1間0.3km・経線:1間0.25km、斜め≒0.4km)
この3D画像(カシミール3D)の作成は、国土地理院長の承認済。(承認番号 平25情使、第539号)
山行名 佐和山-南尾根/西尾根2010
地  域 25zn:滋賀北鈴鹿-北部
地図区分 1/20万地勢図:名古屋/彦根東部、1/25000地形図:彦根東部/南西N
山行年月日、(天候) 2010.10.02、(晴)
山名(よみかな) 佐和山
(さわやま)
弁天山
(べんてんやま)
―  ― ―  ―
別名(よみかな) ―  ― ―  ―
所在地Mapion  彦根市 彦根市 ―  ― ―  ―
中心緯度経度 35.279704,136.269492 35.285659,136.267797 ―  ― ―  ―
標  高 232.5m 196m ―  ― ―  ―
三角点 三  等 地形図標高 ―  ― ―  ―
点  名 石ヶ崎 ―  ― ―  ―
展  望 山頂:南北側 ―  ― ―  ―
登山道 明確登山道 未踏破 ―  ― ―  ―
登山口 35.274886,136.268891 下山口 35.28445,136.276509
最高/最低=標高差 233m/90m=143m 純標高差 約500m
踏破距離 約6.5km ポイント 23P
斜度:勾配 max20° 体力度 ★☆☆☆☆
所要/歩行時間 所要03:10/歩行02:30 ルート難度 ★★☆☆☆
標準歩行時間 02:55+α(ルート難度) 技術度 ★☆☆☆☆
山行目的 城址 アクセス難度 ★☆☆☆☆
形態、山行人数 日帰り、2名 展望 ★★☆☆☆
アクセス時間  自家用車、00:10 景観・風情 ★★☆☆☆
駐車場 公民館、無料駐車場 お薦め度 ★★☆☆☆
備  考 団体:入山許可が必要、西尾根:一部不明登山道
ルート 公民館(12:40)〜南登山口〜佐和山頂(13:45)〜西尾根曲輪跡〜清涼寺墓地
〜龍潭寺門前〜かもう坂(15:15)〜内町登山口〜公民館(15:50)
概要 佐和山は、関ケ原の合戦の西軍の将である石田三成の居城:佐和山城があったところでも知られています。合戦後、東軍徳川家の将の一人であった井伊直政が、この地に知行を与えられ、井伊家ニ代目直勝によって佐和山の西側約1.5kmのところにある金亀山(彦根山)に彦根城が造られました。その城郭の一部に佐和山城の城門が使われているという説もあります。現在、建物の遺構は、ほとんど残っておらず、天守の石垣の一部や、千貫井戸などにその面影を残すのみです。平成16年から西尾根一体が測量調査され、平成22年(2010年)に資料整備され、道標も一新されました。現在の西曲輪跡は展望もなく、少々の土塁が残るのみで顕著な遺構はありませんが、1808年設置された石田群霊碑まで行くことができ、カメラに納めました。また西側山麓にある清涼寺の井伊墓所が、2007年11月16日に国の指定史跡となり、その存在が広く認められました。
清涼寺門前からの佐和山西側山容です
    清涼寺は井伊家の墓所があり、墓所が2007.11国指定史跡となりました
    また、石田家の重心、島左近の屋敷があったのがこの位置だったそうです