ルート・シュミレーション
山聲-TOP
クリックで拡大
この3D画像(カシミール3D)の作成は、国土地理院長の承認済。(承認番号 平25情使、第539号)
小川城山山頂からの山座同定
クリックで拡大
滋賀甲賀にある小川城山山頂からのパノラマ(350〜60°)。山頂からの展望はこの方向からのみ。本能寺の変の際、徳川家康の伊賀越えルートの一部がこの場所です。 2016.02.24(滋賀県信楽町)
阿星山
  ↓
  ↑
愛宕山
若草山
  ↓
  
長野西山
大納言
  ↓
 
長野東山
飯道山
 ↓
※ この断面図はカシミール3Dを使用し作成しています
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)
数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)
および基盤地図情報を使用して作成しています。(承認番号 平25情使 第539号)
表示測地系:WGS84、経緯度線@10''(緯線:1間0.3km・経線:1間0.25km、斜め≒0.4km)
山行名 小川城山
地  域 25k:甲賀
地図区分 1/20万地勢図:名古屋/水口、1/25000地形図:信楽/南西C
山行年月日、(天候) 2016.02.17、(晴)
山名(よみかな) 小川城山
(おがわしろやま)
―  ― ―  ― ―  ―
別名(よみかな) ―  ― ―  ― ―  ―
所在地Mapion 信楽町 ―  ― ―  ― ―  ―
中心地緯度経度 34.843932,136.037393 ―  ― ―  ― ―  ―
標  高 470.1m ―  ― ―  ― ―  ―
三角点 三  等 ―  ― ―  ― ―  ―
点  名 城  山 ―  ― ―  ― ―  ―
展  望 山頂:一方向 ―  ― ―  ― ―  ―
登山道 明確登山道 ―  ― ―  ― ―  ―
登山口 34.848546,136.040053 下山口 34.845041,136.032329
最高/最低=標高差 470m/330m=140m 純標高差 約540m
踏破距離 約5.0km ポイント 21P
斜度:勾配 max23° 体力度 ★☆☆☆☆
所要/歩行時間 所要04:05/歩行02:30 ルート難度 ★★☆☆☆
標準歩行時間 02:05+α(ルート難度) 技術度 ★☆☆☆☆
山行目的 城址/峰探訪 アクセス難度 ★☆☆☆☆
形態、山行人数 日帰り、2名 展望 ★☆☆☆☆
アクセス時間  自家用車、01:50 景観・風情 ★☆☆☆☆
駐車場 林道、無料駐車場 お薦め度 ★☆☆☆☆
備  考 中の城:急坂、スリップ注意
ルート 林道入口駐車場(10:30)〜小川城山(11:00)〜北郭〜小川城山(11:50)
〜中の城〜西の城(13:05/14:15)〜林道入口P(14:35)
概要 小川城山は信楽町の東南部に位置し、地名も大字小川字城山であり、山頂にある三角点の点名も『城山』とあるように、小川城があったことから名付けられたと考えます。現地案内板によると、小川城は14世紀初め鶴見伊予守によって築城されたとあり、山麓にある『中の城、西の城』は支城として、三城一体の機能があったと考えられます。戦国時代は多羅尾氏の勢力下にあり、『本能寺の変』当時は、多羅尾光俊の居城でした。変事のおり、徳川家康が堺から伊賀越えで領国三河に逃げ帰る途中、信楽で一夜を明かしたのは、小川城で一夜を明かしたと伝えられています。多羅尾氏はその後、豊臣秀吉に謀叛の疑いをかけられた関白・豊臣秀次の罪に連座して領地を没収され、廃城という運命を辿ります。城跡は、滋賀県指定史跡として公園整備されています。遺構の状態もわかりやすく、また展望も北西側に視界が開けています。西の城址は登山道はありません。
この3D画像(カシミール3D)の作成は、国土地理院長の承認済。(承認番号 平25情使、第539号)
小川城山山頂からの北西側展望
    中央の森は西の城址、左寄りに主郭
    中央奥は深堂山、左奥に経塚
    中右奥にコウモリヶ岳、右奥に太神山方向