ルート・シュミレーション
山聲-TOP
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この3D画像(カシミール3D)の作成は、国土地理院長の承認済。(承認番号 平25情使、第539号)
南宮山山頂からの山座同定
右側:南宮山山麓、左側:無名峰山麓(霊仙山系の山裾になる)、中央の奥は伊吹山
この谷を、関ケ原の合戦で島津軍の中央突破の撤退が行われた(岐阜県上石津町)
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)
数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)
および基盤地図情報を使用して作成しています。(承認番号 平25情使 第539号)
表示測地系:WGS84、経緯度線@10''(緯線:1間0.3km・経線:1間0.25km、斜め≒0.4km)
この3D画像(カシミール3D)の作成は、国土地理院長の承認済。(承認番号 平25情使、第539号)
山行名 南宮山
地  域 21v:岐阜養老
地図区分 1/20万地勢図:岐阜/大垣、1/25000地形図:大垣/南西W
山行年月日、(天候) 2004.03.09、(晴)
山名(よみかな) 南宮山
(なんぐうさん)
北尾根三角点
(きたおね―)
― ― ― ―
別名(よみかな) ― ― ― ― ― ―
所在地Mapion 垂井/上石津町 垂井町 ― ― ― ―
中心地緯度経度 35.346826,136.50976 35.353564,136.517656 ― ― ― ―
標  高 419.2m 299.2m ― ― ― ―
三角点 二  等 三  等 ― ― ― ―
点  名 牧田村 南宮 ― ― ― ―
展  望 山頂:なし 尾根:なし ― ― ― ―
登山道 明確登山道 明確登山道 ― ― ― ―
登山口 35.359689,136.522377 下山口 35.359689,136.522377
最高/最低=標高差 419m/50m=369m 純標高差 約1260m
踏破距離 約7.0km ポイント 40P
斜度:勾配 max29° 体力度 ★★☆☆☆
所要/歩行時間 所要03:50/歩行03:10 ルート難度 ★★☆☆☆
標準歩行時間 04:00+α(ルート難度) 技術度 ★☆☆☆☆
山行目的 史跡/信仰 アクセス難度 ★☆☆☆☆
形態、山行人数 日帰り、2名 展望 ★★☆☆☆
アクセス時間 自家用車、00:40 景観・風情 ★☆☆☆☆
駐車場 神社:無料駐車場 お薦め度 ★☆☆☆☆
備  考 階段多し、ヒザに負担
ルート 南宮神社(10:45)〜ルート分岐〜展望所(11:55)〜南宮山頂上(13:05)
〜展望所(13:30)〜上下コース分岐(14:00)〜南宮神社(14:35)
概要 南宮山は、関ヶ原の合戦でお馴染みの関ケ原町の隣町、垂井町にあります。東軍と西軍が対峙したときに、山麓にある南宮神社の辺りには、西軍の吉川広家(実は東軍内応)、安国寺恵瓊(傍観者)が布陣、毛利秀元(傍観者)は、山中に布陣した所です。東軍の押さえとして、池田輝政が布陣していました。なお、東軍の本陣:徳川家康はこの山の北側:桃配山(関ケ原町)に初陣をおきました。歴史家がよく話題にする布陣ですが、実際に山上で検証してみても、なぜ西軍が負けたのか不思議なほどの布陣です。南宮神社の左脇から登り始めます。山中にはいたるところに椿が植えられ、開花時期には華の共演が繰り広げられます。登山道は、ほとんどが階段で、うんざりしてしまいます。ルート上には、一箇所東側に開けたところがあり、抜群の眺望を誇ります。頂上の眺望は樹木にはばまれ、ほとんど見えません。歴史と信仰に包まれたお山です。
南宮山南側山麓(上石津町)よりの南宮山山容
    三つの峰の内、左側の峰が山頂、中央が展望所
桃配山(合戦:徳川家康 初陣)から垂井町の山々
手前の道路は国道21号(岐阜県関ケ原町)