山行名 南宮山130306/朝倉山
地  域 21y:岐阜養老
地図区分 1/20万地勢図:岐阜/大垣、1/25000地形図:大垣/南西W
山行年月日、(天候) 2013.03.06、(晴)
山名(よみかな) 北尾根三角点
(きたおね―)
南宮山
(なんぐうさん)
392峰
(392ほう)
朝倉山
(あさくらさん)
別名(よみかな)
所在地Mapion 垂井町 垂井/上石津町 垂井/上石津町 垂井町
中心地緯度経度 35.353564,136.517656 35.346826,136.50976 35.356469,136.501755 35.359672,136.512421
標  高 299.2m 419.2m 392m 257m
三角点 四  等 二  等
点  名 南宮 牧田村 地形図標高 地形図標高
展  望 尾根:なし 山頂:なし 山頂:なし 山頂:なし
登山道 明確遊歩道 明確登山道 明確登山道 不明登山道
登山口 35.359654,136.522356 下山口 35.357747,136.513429
最高/最低=標高差 420m/50m=370m 純標高差 約1300m
踏破距離 約9.0km ポイント 44P
斜度:勾配 max45° 体力度 ★★☆☆☆
所要/歩行時間 所要04:50/歩行03:50 ルート難度 ★★☆☆☆
標準歩行時間 04:25+α(ルート難度) 技術度 ★☆☆☆☆
山行目的 史跡/信仰/縦走 アクセス難度 ★☆☆☆☆
形態、山行人数 日帰り、1名 展望 ★★☆☆☆
アクセス時間 自家用車、00:50 景観・風情 ★☆☆☆☆
駐車場 神社:無料駐車場 お薦め度 ★☆☆☆☆
備  考 朝倉山降り不明道、急坂
ルート 南宮神社P(09:25)〜ルート分岐〜展望所(10:35)〜南宮山(11:15)〜392峰
〜朝倉山分岐(12:00)〜朝倉山(13:00)〜真禅院〜南宮神社P(14:15)
概要 南宮山は、関ヶ原の合戦でお馴染みの関ケ原町の隣町、垂井町にあります。東軍と西軍が対峙したときに、山麓にある南宮大社の辺りには、西軍の吉川広家(実は東軍内応)、安国寺恵瓊(傍観者)が布陣、毛利秀元(傍観者)は、山中に布陣した所です。東軍の押さえとして、池田輝政が布陣していました。なお、東軍の本陣:徳川家康はこの山の北側:桃配山(関ケ原町)に初陣をおきました。歴史家がよく話題にする布陣ですが、実際に山上で検証してみても、なぜ西軍が負けたのか不思議なほどの布陣です。南宮神社の左脇から登り始めます。山中にはいたるところに椿が植えられ、開花時期には華の共演が繰り広げられます。登山道は、ほとんどが階段で、うんざりしてしまいます。南宮山山頂を過ぎ、西尾根392峰をたどり、支尾根を北東へ進むと朝倉山。山麓の真禅院に立ち寄り南宮大社に戻ります。歴史と信仰に包まれたお山です。
山聲-TOP
ルート・シュミレーション
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この3D画像(カシミール3D)の作成は、国土地理院長の承認済。(承認番号 平25情使、第539号)
南宮山山頂からの山座同定
岐阜県垂井町にある南宮山北山麓からの西北側展望です。彼方に伊吹山を抱きます。この地は、関ヶ原の戦の古戦場。毛利軍が布陣をし傍観したため東軍勝利に。 2013.03.06(岐阜県垂井町)

伊吹山
  ↓

この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)
数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)
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表示測地系:WGS84、経緯度線@10''(緯線:1間0.3km・経線:1間0.25km、斜め≒0.4km)
この3D画像(カシミール3D)の作成は、国土地理院長の承認済。(承認番号 平25情使、第539号)
南宮山展望台よりの南側展望
    養老山系が前方に聳え、眼下には牧田川が流れます
    最高所は笙ヶ岳、養老さんはその奥に隠れています
    黄砂の影響か霞がひどくせっかくの眺望が台無し