こうざんこうえん | ルート | 駐瑠璃光寺(11:30)〜香山公園(12:20/12:40) 〜瑠璃光寺(12:50) |
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香山公園 | |||
地 域 | 35:山口/南東C | 概要 香山公園は、瑠璃光寺の周辺一帯を整備した公園です。園内には、国宝瑠璃光寺五重塔や、幕末に毛利敬親公が茶事にことよせて、藩士と討幕の策を練ったといわれる露山堂(ろざんどう)、薩長連合の志士が集った枕流亭(ちんりゅうてい)、明治時代以降の毛利家墓所(13代から15代まで)、墓所への石畳は、「うぐいす張りの石畳」と呼ばれ、参拝者には人気の場所です。他に、瑠璃光寺資料館などがあります。大内文化は、室町文化の色合いを持ちながら、この地域独特の香りを残しています。空を背景に、素晴らしい景観を持つ国宝:五重塔、新しい時代を見つめた貴重な史跡:枕流亭を訪れる旅は、心ときめき、旅の醍醐味が味わえます。また、香山公園は、桜・梅・つつじ・あじさい等の名所にもなっていて、『日本の歴史公園100選』のひとつに選定されております。時間が許せば、のんびりと散策したいところです。 | |
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山口県山口市 | ||
標 高 | 74m/53m=21m | ||
距 離 | 約―5km、斜度:max―゜ | ||
体力度 | ―P、☆ | ||
山行日 | 2011.04.21、(晴) | ||
形 態 | 前後泊、3名 | ||
時 間 | 所要03:30、歩行01:00 | ||
アクセス | 自家用車、09:00 | ||
備 考 | 特に難所なし |
萩藩毛利家墓所(国指定史跡):香山墓所 | |
萩市にある、天授院跡(毛利輝元)、東光寺(12代までの萩藩・偶数代藩主)、大照院(11代までの萩藩・奇数代藩主)の墓所と共に、13代以降の長州藩36万石の藩主の墓所です。墓所には、13代毛利敬親夫妻、14代毛利元徳夫妻、15代毛利元昭夫妻の墓、さらに諸霊位の墓が並んでいます。 | |
![]() 墓所参道 |
![]() 墓所石柵全景 |
![]() 墓所前石畳 |
![]() 参道は歩くと音がするので「うぐいす張りの石畳」 |
![]() 墓所説明板「現地案内板) |
![]() 墓所石柵 |
露山堂(ろざんどう) | |
幕末、藩庁が萩から山口に移されたときに、政治堂が一露山(いちろざん)山麓にたてられました。そのとき、背後の山の名前をとって、「露山堂」と名付けられた茶室が建てられました。廃藩後は、持ち主も変わり、各地に移築された後、明治24年(1891)に、この地に移されたものです。現在も茶室として利用されています。 | |
![]() 茶室露地門右背面 |
![]() 露地門背面 |
![]() 露山堂 |
![]() 茶室待合 |
![]() 茶室貴人口 |
![]() 茶室全景 |
![]() 露山堂案内板(現地案内板) |
![]() 日月の灯篭 |
![]() 誰が袖の手水鉢 |
![]() 水琴窟 |
![]() 後生車(輪廻車、手車石、禊石、浄め石)) |
![]() 手水鉢・水琴窟説明板(現地案内板) |
![]() 蹲(たんに造形としておいてあるもの・・・・?) |
![]() 灯篭 |
![]() 灯篭 |
![]() 庭園池 |
![]() 灯篭火袋彫刻 |
![]() 灯篭火袋彫刻 |
枕流亭(ちんりゅうてい) | |
薩長連合結成の密議のため、薩摩の小松帯刀や西郷隆盛などが山口を訪れた際に、当時道場門前にあった枕流亭で、長州方と面会したといわれています。その後何度か移築され、近年香山公園内に移築されました。 | |
![]() 側面 |
![]() 背面 |
![]() 枕流亭案内板(現地案内板) |
![]() 一階正面入口、二階右側が八畳間 |
![]() 二階八畳間、この部屋で密議がされました |
![]() 二階丸窓 |
保寧山瑠璃光寺 詳細はこちらから | |
瑠璃光寺は、大内氏の譜代の重臣だった陶(すえ)氏の7代当主:陶弘房が亡くなった時、その夫人が夫の菩提を弔うために、文明3年(1471)に創建したのが始まりとされます。当初は安養寺と呼ばれ、山口市仁保(にほ)にありました。その後明応元年(1492)に、瑠璃光寺と名を改めています。関ヶ原の戦いの後、毛利氏が萩に転封となった際に、香積寺が萩に移されることになったため、瑠璃光寺がその跡地に移転し、現在に至っています。 | |
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