歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
げんじゅうあん ルート 石山駅(09:00)〜太子堂・幻住庵(09:50/10:20)
〜西山休憩所〜県境尾根出合〜音羽山(13:00)
〜蝉丸神社〜長等公園(15:35)〜大津駅(16:10)
幻住庵
地  域 25s:京都東南部/北東E 概要 幻住庵は、松尾芭蕉の関連史跡です。「奥の細道」の旅を終えた翌年の元禄3年(1690)3月頃から、膳所の義仲寺無名庵に滞在していた芭蕉が、門人の菅沼曲水の奨めで同年4月6日から7月23日の約4ヶ月間隠棲した小庵です。ここで「奥の細道」に次いで著名で、「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ」の書き出しで知られる、「幻住庵記」を著しました。元は、菅沼曲水の伯父:幻住老人(菅沼定知)の別荘で、没後放置されていたのを手直しして提供したものであり、近津尾神社境内にあります。現在の建物は、平成3年(1991)に、芭蕉没後300年記念事業「ふるさと吟遊芭蕉の里」の一環で復元されたものであります。敷地内には、幻住庵記に「たまたま心なる時は谷の清水を汲みてみづから炊ぐ」との記述があるように、芭蕉が自炊していた痕跡『とくとくの清水』が、今も木立の中、水を湧き出しています。
Mapion 滋賀県大津市国分2丁目
標  高 158m/133m=25m
距  離 約―km、斜度:max―゜
体力度 ―P、Θ
山行日 2005.03.27、(晴)
形  態 日帰り、2名
時  間 所要00:30/歩行00:10
アクセス 公共交通、01:30
備  考 特に支障なし
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幻住庵記の文始端
幻住庵記の文終端
「幻住庵周辺案内図」案内板
幻住庵記のモニュメント
近津尾神社神門
庵縁側
近津尾(ちかつお)神社
庵内部
「幻住庵跡」案内板
道標
灯籠
表門 詳細はこちらから
経塚
とくとくの清水
芭蕉は、元禄3年(1690)4月、幻住庵に入り、この清水を使い気ままな自炊生活をしていました。
芭蕉俳文の代表作『幻住庵記』に、「たまたま心まめなる時は、谷の清水を汲みて自ら炊(かし)ぐ。とくとくの雫(しずく)を侘びて、一炉の備へいとかろし」と記しています。
また、来庵者への酒楽な挨拶として「我宿は 蚊のちいさきを馳走かな」(泊船集)の句があります。
「 先ずたのむ 椎の木も有 夏木立 」
句碑
山聲-TOP
経塚・句碑
近津尾神社俯瞰
とくとくの清水
階段遊歩道
「とくとくの清水」案内板
山悠遊-滋賀/湖南
幻住菴記  芭蕉艸(ソウ・くさ)             (元禄3年4月6日〜7月23日 47歳)

 石山の奥、岩間のうしろに山有り、国分山と云(いふ)。そのかみ国分寺の名を伝ふなるべし。麓(ふもと)に細き流れを渡りて、翠微(すいび)に登る事三曲二百歩にして、八幡宮たたせたまふ。神体は弥陀の尊像とかや。唯一の家には、甚忌(はなはだい)むなる事を、両部光を和(よは)らげ、利益(りやく)の塵(ちり)を同じうしたまふも又貴し。日ごろは人の詣(もうで)ざりければ、いとど神さび、もの静かなるかたはらに、住み捨てし草の戸有。蓬(よもぎ)・根笹軒(ねざさのき)をかこみ、屋根もり壁落ちて、狐狸(こり)ふしどを得たり。幻住庵(げんじゅうあん)といふ。あるじの僧なにがしは、勇士菅沼氏曲水子(きょくすいし)の叔父になんはべりしを、今は八年ばかり昔に成りて、まさに幻住老人の名をのみ残せり。

    「中略」

 かく言へばとて、ひたぶるに閑寂(かんじゃく)を好み、山野に跡を隠さんとにはあらず。やや病身、人に倦(う)んで、世をいとひし人に似たり。つらつら年月の移り来し拙(つたな)き身の科(とが)を思ふに、ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは佛離(ぶつり)祖室の扉(とばそ)に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労(ろう)じて、しばらく生涯のはかりごととさへなれば、つひに無能無才にしてこの一筋につながる。楽天は五臓の神を破り、老杜は痩(やせ)せたり。賢愚文質(けんぐぶんひつ)の等しからざるも、いづれか幻の栖(すみか)ならずやと、おもひ捨ててふしぬ。

 先づたのむ椎(しい)の木も有夏木立