がんこんさんほうごんじ ルート 巖金山宝厳寺(9:50/10:50)
巖金山宝厳寺
地  域 25ns:竹生島/南西SW 概要 宝厳寺は、宗派:真言豊山派、本尊:大弁才天、創建:伝・神亀元年(724)、開山:行基、開基:伝・聖武天皇(勅願)。当初は寺名を本業寺と呼ばれ、東大寺の支配下でしたが、平安時代前期に天台寺院となりました。境内の隣にあった都久夫須麻神社は、湖水を支配する水の神といわれることから、平安時代末期にはこの神は、仏教の水の神である弁才天(元来はインド起源の河神)と同一視されるようになり、ついには弁才天と同一とされる市杵島比売命も祀るようになり、神仏習合が進んで都久夫須麻神社は当寺と一体化していき、以降、寺と神社の区別はなくなっていき、寺名と社名も合わさって竹生島大神宮寺や竹生島権現などと名乗り、観音と弁才天信仰の島として栄え、後には宝厳寺とも呼ばれました。寺・社分離以来、本堂がなかった宝厳寺ですが、太平洋戦争中に現在の本堂が建立され、再び本尊:大弁才天が祀られました。
Mapion 滋賀県東浅井町早崎
標  高 125m/85m=40m
距  離
体力度 ―、☆
山行日 2021.10.27、(曇)
形  態 日帰り、3名
時  間 所要01:00/歩行00:20
アクセス 自車+船、00:20+00:40
備  考 急な階段
「楽寿観世音菩薩」案内板
楽寿観世音菩薩
本堂(弁財天堂)内部香炉前
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本堂(弁財天堂)正面
本堂(弁財天堂)正面遠景
紗音天堂・納経所
上壇手水舎
上壇手水場
護摩堂
瑞祥水の吐水龍
瑞祥水『湖底 壱百参拾米』、石造仏
下壇手水舎
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観音堂・唐門 詳細はこちらから
三十三所奉安所左側面
三重塔隅軒先風鐸
三重塔左側面
モチの木
天狗堂
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「宝厳寺五重石塔の説明」案内板
石造五重塔
不動明王像
「宝厳寺弁才天堂」案内板
吐水龍
鐘楼
本坊、琵琶湖俯瞰
月定院・護摩堂
二の階段参道
『本尊大辯才天』石碑
吐水龍
一の階段参道
「當嶋水際八町殺生禁断也」石碑
宝厳寺は奈良時代、僧・行基が開創したとされている。行基は出身地の河内国(現・大阪府東部)を中心に多くの寺を建て、架橋、治水灌漑などの社会事業にも尽くし、民衆の絶大な支持を得ていたとされる僧であり、近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。宝厳寺の寺伝によれば神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願によって行基が浅井姫命(あざいひめのみこと)を祭神とする都久夫須麻神社がある竹生島を訪れ、大弁才天を祀ったのが起源とされています。しかし、承平元年(931年)成立の『竹生島縁起』には、行基の来島は天平10年(738年)で、小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりと伝わります。同縁起によれば、天平勝宝5年(753年)、近江国浅井郡大領の浅井直馬養(あざいのあたいうまかい)という人物が、千手観音を造立して安置したとあります。
弁才天信仰の聖地でもあり、日本三大弁才天(厳島神社・江島神社・宝厳寺)の一つに数えられています。観音堂は、西国三十三所第30番札所で、本尊は千手観世音菩薩の観音霊場です。
「竹生島案内図」案内板
竹生島港広場からの観音堂唐門
観音堂への階段俯瞰
三十三所奉安所右側面、奥に本堂(弁財天堂)
上壇手水舎・天狗堂
三重塔左背面
三重塔右正面
雨宝堂
宝物殿
本堂前境内
三龍堂
本堂(弁財天堂)内部扁額『辯財天』
本堂(弁財天堂)正面向拝
本堂(弁財天堂)正面向拝
紗音天堂
石造仏、観音像
下壇手水場
鳥居神額『嚴金山』、寺号碑『竹生島宝厳寺』
「琵琶湖八景 深緑竹生島の沈影」石碑
竹生島港広場
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